デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



泗泚楼(送月台に建つ楼閣)

扶蘇山城で最も高い送月台にも行った。ここに泗泚楼がある。泗泚(サビ)という名前は既にこちらで登場していたが、ここでは楼閣の名前に用いられている。
朝鮮王国時代、林川官衙の正門を1919年にここに移転し、泗泚楼と呼ぶようになったそうだ。






泗泚楼の泗泚は、百済が最後に遷都先が泗泚という所(今の扶余郡)だったことから採ったのだろう。ちなみに泗泚が扶余郡と改称されたのは新羅が半島統一してからである。
扁額は大韓帝国の高宗の五男である義親王イ・ガンによるものだ。


若干霧がはれ出した?



それにしても泗泚って字の意味からして「涙、清い」とか「清い涙」ってことだろうから、百済滅亡の際、今の扶蘇山城の北側から身を投げることになってしまった宮女(きゅうじょ)たちの運命を暗示していたかのようだ。


白馬江側にも扁額がある

扁額は金圭鎮によるもの


泗泚楼を後にして下り坂を行く


だいぶ日が昇った



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百花亭にも上がってみることにした。


岩は滑りやすかったので気を付けて上がった。


百花亭はここで身を投げた宮人たちの霊魂を追慕するため1929年に建てられたと伝わっている。



百花亭という名は、中国の北宋時代の詩人、蘇東坡が恵州に流刑にあった際、城外の湖を見て名づけた“江錦水榭百花州”という詩に由来する。


日本にある百済門と色合いが似ているなと思った。



亭のなかは土足厳禁

前回、アップするのを忘れていた別のカメラでの画像。












白馬江は気温が上がってから遊覧船に乗って見ることにした。



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パンダによる予想の記事ばかりあげていたが、日本でも勝敗予想していた動物がいたとは。しかしこれまでの結果からして、ある意味、インコの予想とは逆の事が必ず起こっていたとなれば、それはそれで驚異的なものがある。
それにしてもこの記事の「崖っぷち」って、すべて予想が外れたらなんらかのペナルティーみたいなのがあったかのような書き方だな(笑)。


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百花亭(落花岩の上に建てられた東屋)

西暦660年、百済が唐・新羅連合軍によって滅ぼされようとしているとき、山肌にむき出しになった岩の天辺から白馬江(昔の白村江)に、3000人もの百済の女官たちが相次いで身を投げたと伝えられている場所がここだ。






せっかくの白馬江が見えない!と少し嘆いたが、むしろ雲海化している白馬江を上から眺めることのほうが激レアなのではないかと思った。














落花岩を上から

「三国遺事」の記録によれば宮女たちは災いを免れる事はできないと思い、他人の手で殺されるよりは貞節を守るため身を投げざるを得なかったという。この岩は“堕死巌”と呼ばれたが、後日、宮女を花に喩えて落花岩とも呼ばれるようになった。現在は落花岩の方で広く知られる。

岩全体の写真も紹介されていた。




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世界遺産のマークだ



扶蘇山城は地元の人と思わしき運動ウェアを着た人や、年配の御仁や婦人の散歩コースにもなっているようだ。





画像では色が薄めだが葉が
色づいていてきれいだった。




初日にいささか強引に扶余にやって来たことが報われたと思った。
朝霧が出る季節に山や広大な国立公園に入るという条件を満たせば日本でも見れるものだろうが、非日常の旅先でこういった光景を見れたことは特別な事だと思う。



刹那的なようだが、この朝日をバックにした木々や紅葉の光景を目にしたとき、これでもう旅の目的は達せられた気がした。大げさかもだが、私はこの光景を見るためだけにここまで来たのだとさえ思った。


売店の準備はまだのようだ



案内標識の建物名や遺跡名に少し目移りしつつ案内標識の「落花岩」を辿(たど)る形で落花岩までひたすら上ったり下りたりした。

ひたすら歩く

一旦上がりきってから、けっこう急な石段の下り道を歩いた。

目的の場所に着いた!



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準々決勝の最初の2試合は1当1外か。まぁ平凡なパンダであることも分かったので良かった(笑)。ここまでくれば、あとの2試合でまた調子を取り戻してほしいところだが、どうなる?


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今W杯の予言パンダ、とうとう外したか。しかし、決勝トーナメントの他の試合でも当ててるわけだし、準々決勝の4試合も見事に当てるかも。


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王宮跡から階段を上がるといかにもな
感じの昔の建物があって近づいてみた。


この時点でけっこう
じわっときてしまった。









朝霧がいい雰囲気を醸し出していて、この建物だけでもとても感動してしまった。








朝鮮王国時代の服を
着た人が、周囲を掃き
そうじしに出てきそう


現地では霧のせいで解説板を見つけられなかったので分からなかったのだが、のちに調べると부여객사(扶餘客舎)という建物で、朝鮮時代の扶余郡の庁舎だったようだ。建物自体は1869年に再建されたものだという。
郡政府の指導者の仕事場や住居であり、外国使節や使者の宿泊や、朝鮮王に敬意を表す式典を開催するのにも使用された。公式の使者や訪問者でも、位が高い人は本堂を使い、低い人は下位の翼の建物を使用していたという。



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W杯、日本代表は健闘したものの残念な結果となったが、本当によくやったと思う。
それにしてもパンダのスーハイ、恐るべし。今大会でおこなうゲーム予想、勝敗をすべて的中させるのではないだろうか(笑)。


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遺跡があったので、ここらで
なんとなく場所の見当がついた。

最初、朝の天気予報のPM2.5の報じ方から見て、この霧がPM2.5かと思ってしまった。朝霧は標識もかなり近づかないと判読できないほどの濃さで、Seongwang-ro(聖王路)とSeoktap-ro(石塔路)とBuso-ro(扶蘇路)のあたりで、数分ほど自分のいる場所が分からなくなった。まさに五里霧中だった。

地図に載っている扶蘇長老派教会
っぽいなと思ったので、教会を目印に
太陽の方角を見ながら軌道修正した。


王宮跡

扶蘇山城の入口にまっすぐに行けなかったが、これが幸いした。王宮跡に立ち寄ることになったからだ。


蓮池


蓮池の説明

婦人が朝の散歩をしていた。





建物址の柱穴跡か



工房施設



霧の中から遺跡とその背景の
建物や木々が浮かび上がって
見えて、とても幻想的だった。



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