1月15日(日)、午後13:00~17:00は、文化の森イベントホールに、徳島地方史研究会主催の「災害史に学ぶ阿波の歴史」と題する公開研究会に参加してきました。しばらく前に松茂町の「敬渝碑」に関する研究をしたので、関連する発表などがあって、それを視聴したかったからです。
3.11の東日本大震災以来、東南海地震に関しても、現実味を帯びてきました。非常にタイムリーな研究会です。
4名の研究者の方から、それぞれ興味深い発表がありました。(敬称略)、現在、会の代表をされている徳野さんは、数年前に私が徳島県文書館で古文書講座に参加した時に、古文書を教えて下さった先生でした。
徳野隆 「近世史料から見る阿波の地震と津波」
中村豊 「考古遺跡からみた災害 -徳島県を中心に-
大川沙織 「石造物からみた徳島の地震・津波」
松下師一 「阿波北方における南海地震の歴史的検討」
過去にも日本には大地震が何度も起きており、南海地震を見るならば、90~150年に一度は必ずおきます。これは大陸プレートの動きで、徐々に海底が押されてきて、それが限界に来るのがこの期間だからです。
その都度、この地域にも大きな被害があって、それを記録したものも残っています。特に幕末の安政大地震・終戦後の昭和大地震の記録は多く残っています。
マグニチュードは0.2上がると規模は2倍になる。3.11の地震はM9.0で、安政大地震(M8.4)の8倍の規模だったこと、昭和大地震(M8.0)は比較的規模は小さかったこと、などがよくわかりました。(松下氏談より)
安政大地震の際の記録が敬渝碑です。上記後半の2人の研究者がこの碑についても紹介して下さり、また改めていろいろ考えることができました。
今後、3.11規模の地震がこの地域に来た場合は、安政地震の8倍の規模ということになりますから、被害も碑に記載された以上のものになるわけです。
南海地震は、ほとんどの場合、東海地震と連動します。巨大な東日本大震災が起きてしまい、海底のひずみが生じているはずですから、90~150年という期間を待たずに次の地震が来てしまう可能性もあります。心の準備が必要だと、改めて感じました。有益な研究会でした。