ぱたぱた仙鳩ブログ

徳島から書道文化を発信します。

萬福寺

2012年10月09日 | インポート

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京都教育大学で全国大学書道学会があって、10月7日(日)、前日であるこの日、京都に入り、宇治の萬福寺に立ち寄りました。旅館は伏見区成町にとり、荷物を置いて、タクシーで行きました。

萬福寺は、黄檗宗の本山で、1654年、中国福建省から渡来した隠元禅師が後水尾天皇や4代将軍徳川家綱の尊崇を受けて、1661年に開創されました。

明代に制定された仏教儀礼で行われ、お経も、「唐音」で行われます。明は秀吉の朝鮮出兵のあたりから弱体化し、1616年に満洲から清朝が起こるや、圧迫されて、1661年に滅亡します。鄭成功などが日本に援軍を求めますが、日本は見はなします。この時に日本に多くの文化人が亡命してきます。水戸光圀の師となった朱舜水などもこの文化人の一人ですが、黄檗僧の多くもこの亡命者の一部です。

Mannpukuji_2黄檗三筆といわれる隠元・木庵・即非の三名は、書道や篆刻に優れ、江戸初期の日本の書道界に大きな影響を与えます。彼らの書を学んだ日本の儒者や通訳が、「唐様」として日本の漢字書道の世界をリードしていくのです。讃岐の儒者である後藤芝山にも、影響があります。

右の写真は隠元の書です。

木庵の書は、徳島にも影響を与えます。木庵の門下に鉄崖という僧侶がいて、徳島に帰郷して、眉山のふもとに竹林院という寺院を建てて、徳島にその書法を伝えるのです。

萬福寺の雰囲気は、臨済宗や曹洞宗の寺院とはちょっと違います。時間がゆったりと進んでいて、より大陸的な感じです。

Kyoutotawa_21時間ほどそこで過ごしましたが、日本ではなく、中国にいるような感じがしました。京都の中では異質の時間を感じさせる場所です。

翌日は、全国大学書道学会で「後藤芝山の書業に関する一考察」という題で発表させていただきました。鋭い質問などもいただきましたが、やはりよい勉強になりました。

学会では、久しぶりに昔の恩師や大学の後輩に会うことができました。

京都は昔から、たぶん20回以上は来ている場所ですが、何度来てもそのたびに良さを発見します。それだけ深い文化に裏打ちされた土地なのだと思います。

帰りはすでに夕方になり、京都駅前から高速バスで帰りました。バスに乗るときに、ライトアップされた京都タワーがあまりに美しくて思わずシャッターを押しました。