12月4日(水)の2限、3年生のゼミ授業で、松茂町の日下部鳴鶴書の石碑を中心に、自家用車で見学に行きました。この日参加したのは5名の学生です。
まずは、松茂町広島の寺院に向かいました。ここの墓地の中にあるひときわ大きな墓石の文字が鳴鶴の大きな楷書で書かれています。
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次は松茂町中喜来の観音堂に行きました。この寺院は、徳島最大の藍商人として有名だった三木家が、東京の浅草観音を勧請して自宅敷地内に建設したものです。自宅に寺院を建てることが簡単にできてしまう富裕な家でした。
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この庭に、「三木氏先世遺徳碑」があります。藍商である三木家の歴史が、当時の東大の漢文の先生によって撰文され、それを鳴鶴が楷書で書きました。極めて立派な石碑です。
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最後は、この道向かいにある中喜来春日神社の境内の「敬渝碑」を見学に行きました。1854年に起きた安政南海地震の被害状況が詳細に書かれている石碑です。地震対策として注目されていて、私の漢文の授業でも扱ったことのあるものです。この碑も三木家によって建てられ、書は神社の隣にある呑海寺の住職だった夢巌によって書かれています。欧陽詢風の美しい楷書です。
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見学終了後は、松茂高速バス停の前にある物産センターに寄りました。地元の農家がとれたて野菜を安く販売しているコーナーがあります。そこで少し野菜などを購入してから帰学しました。戻るとちょうど2限終了時間でした。充実した見学会になりました。徳島は書道遺産も豊富です。
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