ぱたぱた仙鳩ブログ

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『漂巽紀略』に見る万次郎の世界展

2013年07月13日 | インポート

Ryouma5_2  7月13日(土)、高知市桂浜の上にある国民宿舎、桂浜荘でのジョン万次郎の漂流記録『漂巽紀略』のシンポジウムに参加しました。まずは、隣接する「坂本龍馬記念館」で、様々な展示を見学しました。

大学の「阿波学事始め」という研究の一環で、昨年から幕末の漂流記に関する研究をしています。この日は、総勢5名の教員が1台の車で高知まで行きました。阿波の初太郎の漂流の記録である『亜墨漂流新話』の研究です。初太郎が漂流した1841年、同じ年の1月に漂流したのが、実はジョン万次郎ら5名の船乗りが乗った船でした。

そのために少し前から、ジョン万次郎のことも調べ始め、また関連の深いペリー提督のことも調べています。

Ryouma4会場には130人以上の参加者が集まり、席が足りなくなって、急遽増やす程でした。

4人のパネリストの発表の間、参加者の皆さんは熱心に話を聞いていました。

Ryouma2 この会場のすぐ下には桂浜があり、太平洋の荒波に洗われています。この日は、ぎらぎらと輝く夏空で、屋上で写真を撮りました。

とてもさわやかな景色です。この景色をいつも見ているからこそ、土佐人には冒険の精神が育っていったのかもしれません。

このシンポジウムの冒頭では、偶然、ペリー提督の4代後の子孫の方がアメリカから特別ゲストで来られて挨拶をされたので驚きました。お名前も、先祖と同じ「マシュー・ペリー」さんです。

Ryouma3_2 万次郎は日米和親条約の時には日本に帰国していたので、日本側の通訳として活躍したいと考えていましたが、幕府は、万次郎がアメリカ側のスパイではないかと疑って、結局活躍できず、その後に、勝海舟の抜擢で、咸臨丸の通訳として乗り込み、アメリカまで同行することになります。

むしろ、ペリーと縁があるのは、初太郎の方です。初太郎がメキシコから帰国するときに中国に立ち寄り、そこで面倒を見てくれたアメリカ人宣教師のウィリアムズが、それから10年後にペリーの中国語通訳として日本に来ることになるのです。

シンポジウムに参加したおかげで、また漂流記の情報が増えました。これに関わることで、ますます関連世界が広がっていく気がします。