あなたにとってバイクの楽しみとは、何か。
あなたはナゼ、バイクに乗るのか。
あなたは、いつになったら、降りるのか。
共感できる回答はあるだろう。ただ、その回答に集約されよ、と指示されれば、多分、共感した全員が、拒絶するだろう。個人の生き様だけ、回答があると思う。
つまり、偏差はぞれなりにあると思うのだが、その中心になる絶対的な標準はないと思うし、それに伴って、上下限の絶対も、たぶん、ない。
たぶん、とするのは、例えば、盲目のヒトがバイクに乗るとしても、130歳のヒトがバイクに乗るとしても、どちらかに優勝旗が掲揚されたりは、しないと思うからだ。
犯罪者にも被害者にも平等に人権があると仮定するなら、法の尊厳を蹂躙するような走りも、55MPHの平和な走りも等価値だと言える。あくまで、それは、多数派と少数派の差異でしか、ない。1ON1では、等価値なのだ。
つまり、冒頭の3つの質問に対する回答は、3次の数直線上においては、全てが相対的なものなのだ。あるいは、個々が絶対的な存在だ。絶対限は、存在しない。
バイク乗りとは、ココを、知っている者に与えられる称号なのだと思う。
ココが理解できていない者は、ただの、嫌われ者になっていくだろう。
この嫌われ者タイプのヤツも割といるけどね。。。
何が言いたいのか。
疾いも遅いも、大型も原付も、カネかかってるもかかってないも、男も女も、老人も若造も、カッコイイもかっちょわりーも、全てが相対的なものだ。逆に言えば、自分自身が絶対なものであって、上も下もない。
絶対という天国など、あってたまるものか(受け売り)。
んでもさ、オミコシハーレーとコスプレポリスは理解に苦しむよ。
オミコシは多分、色々つけているうちに「こんなんなっちゃいました、へへへ。」ってのは想像つくけど。
コスプレポリスは?
やっぱ、理解不能。