記憶があいまいだが、確か、高校柔道初心者は3級スタートだったと思う。
入学してまもなく3級を取らされた。
っても、3級なんて受身だけで、なんでもない。
1級のブラウン(茶帯)が妙に黒帯(初段以上)よりかっこよく見えたのが、「コッケイな記憶」として残っている。
初段は、経験1年以上の修行実績が必要で、2年生になってからの受験(?)だったように記憶している。
この頃、オレは、絶頂にバカだった。
体重90キロ、腕力・スピードにも自信があり、高校生。
おおむねの体格でクラス分けされ、中学生が混じって、5×5の総当たり戦やって3勝以上すれば初段をくれるのだから、チョロイといえばチョロい。
受験日。
同日に受験した同級とは、「オール1分以内1本+指定技」もしくは「寝技なし30秒以内3本抜き」でキめれば「メシおごり」とか、マジメにやってたヒトには微塵の配慮もないゲーム感覚での受験だった。
スンゲー迷惑な連中だったろう、きっと。
顧問は、こんな日も来なかったように思う。
さすがに、30秒以内は達成できなかったが、会場で一礼の前に「次、何がいい?え?ハネ腰?スミ返し?きっつ~!でも、やっちゃうよ?」みたいな具合だった。
やな奴ら。
2年生不在、顧問もめったに来ない、でも、1年生の夏くらいから練習はワリとマジメにやってた。
強くなりたかったのだ。
打ち込み中に何回も反吐吐いたし、貧血にもなったし、柔道場で熱射病風味で倒れたこともあったし、帰宅してから、どんな真夜中でもヒンズースクワット800回は2年位やっただろうか。
アントニオ猪木が真冬でも冷水シャワー、ってコトだったので、コレもやってた(笑)。
おっぱいもスキだったが、フラれたこともあって、そんなのは、3年になるまで「とりあえず置いといて」の状態だった。
駄菓子菓子。
まともな指導は週一程度。
それも、今考えてみると、顧問の体育教諭は自分の健康のためにやっていたのか、指導は「こうやるんだ」程度で、あまり、まともに指導された記憶はない。
そんなのが前述の段位認定の試験なんかでも出ていたと思う。
当然、同レベルの試合では勝てない。ある意味、「自己流柔道」だし、基礎体力作りだって、限界を見極める領域というものではなかった。
そりゃ、熱心な指導者のモトで鍛えにキタえ抜かれた猛者に、かなうはずもない。
個人トーナメントも、緒戦敗退といったことはなかったが、ベスト4まで勝ち抜き、ナンてこともめったになかった。
1回だけ、県大会地区予選であっただろうか。違ったかな?
や、表彰状もらって、部室で誰かが筒ごと踏んづけてダメになったの捨てた記憶があるので、何かしらあったと思う。
ま、地区予選ベスト4なんてのが何の自慢にもならない、ってなことを自覚していた点では、マシなトコもあったかも(笑)。
ただ、これらは格闘ではなかった。
スポーツ、だ。
ソレを知ったのは、大学生になってから、だった。
気まぐれに続く。かも。