今日は、午前中放送大学、午後は映画「手紙」を夫と見に行った。
無料で手に入れた映画の券2枚をはやく使わないと上映期間が終わってしまうというので、忙しい中決行することとなった。
なかなか、夫と休みが合わない。
映画は真剣なテーマで、良いものだった。
エンディングの字幕と曲がすっかり終わるまで、誰一人席を立たない状況だった。
罪を犯すとはどういうことか、償うとはどういうことか、許すとはどういうことか、いろいろ考えさせられた。
許すというのは一緒に負う覚悟を決めることかもしれない。
被害者だって、許せば心が楽になるわけではなく、大切な人を失った喪失の悲しみといまわしい犯人の行為を忘れることはない。
犯罪者の家族、被害者の家族は、罪がもたらした苦しみを犯罪者とともに背負う覚悟をするという形が「許す」ということなのかもしれない。
犯罪者は罪を償う資格さえない人間だといえる。罪とは償うことはできないものであり、罪を犯した人間が人の意識から消えることが唯一、人の記憶から罪を犯した人間のいまわしさを軽減させる方法であるともいえる。だから、犯罪者が罪を償おうと人の意識の上に登場すればするほどそれは逆にはたらく。詫び状は罪を犯した本人の気休めであり、被害者の家族に送れば送るほど、被害者の家族を苦しめることにもなる。そして、いくら拘置所の中で寂しいといっても、身内からの手紙を期待して慰めを得ることすら見分不相応な希望だともいえるだろう。それすらが、甘えのようであって、罪は自分ひとりで償いきれるものではなく、どれだけ人に苦しみと迷惑をかけるかは計り知れない。
しかし、兄がそのことを自覚した時点で、初めて、弟も被害者の家族も「許す」(一緒に重荷を負う)という心をもつことができたのだろう。
重いテーマである。
帰宅すると肉体的にどっと疲れがでてしまった。昨日も一日中でかけていたし、今日はビデオのヤギがウシに見えたり、二人分のご飯をよそればいいところ3人分よそってしまったり、かなり脳みそがイカレているようだ。肩こりがひどく、目の芯が痛い。
洗濯などもぜんぜんしてないし、明日会社に何を着て行ったらいいかも思いつかない状況だ。
今日は早めに寝よう。
無料で手に入れた映画の券2枚をはやく使わないと上映期間が終わってしまうというので、忙しい中決行することとなった。
なかなか、夫と休みが合わない。
映画は真剣なテーマで、良いものだった。
エンディングの字幕と曲がすっかり終わるまで、誰一人席を立たない状況だった。
罪を犯すとはどういうことか、償うとはどういうことか、許すとはどういうことか、いろいろ考えさせられた。
許すというのは一緒に負う覚悟を決めることかもしれない。
被害者だって、許せば心が楽になるわけではなく、大切な人を失った喪失の悲しみといまわしい犯人の行為を忘れることはない。
犯罪者の家族、被害者の家族は、罪がもたらした苦しみを犯罪者とともに背負う覚悟をするという形が「許す」ということなのかもしれない。
犯罪者は罪を償う資格さえない人間だといえる。罪とは償うことはできないものであり、罪を犯した人間が人の意識から消えることが唯一、人の記憶から罪を犯した人間のいまわしさを軽減させる方法であるともいえる。だから、犯罪者が罪を償おうと人の意識の上に登場すればするほどそれは逆にはたらく。詫び状は罪を犯した本人の気休めであり、被害者の家族に送れば送るほど、被害者の家族を苦しめることにもなる。そして、いくら拘置所の中で寂しいといっても、身内からの手紙を期待して慰めを得ることすら見分不相応な希望だともいえるだろう。それすらが、甘えのようであって、罪は自分ひとりで償いきれるものではなく、どれだけ人に苦しみと迷惑をかけるかは計り知れない。
しかし、兄がそのことを自覚した時点で、初めて、弟も被害者の家族も「許す」(一緒に重荷を負う)という心をもつことができたのだろう。
重いテーマである。
帰宅すると肉体的にどっと疲れがでてしまった。昨日も一日中でかけていたし、今日はビデオのヤギがウシに見えたり、二人分のご飯をよそればいいところ3人分よそってしまったり、かなり脳みそがイカレているようだ。肩こりがひどく、目の芯が痛い。
洗濯などもぜんぜんしてないし、明日会社に何を着て行ったらいいかも思いつかない状況だ。
今日は早めに寝よう。