山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

私が集めるカードは

2007-09-12 00:47:02 | 未分類過去
世の中の人間というのは、できることは好きではなく、できないのに好きなことをしたがるらしいです。
つまり、客観的に見て、向いていることをしないで、向いていないことをしたがるらしい。
自分に簡単にできてしまうことには興味がなく、自分にとって難しいことが好きなんです。
だから、オンチな人がマイクを離さなかったりする。
和服が似合う日本美人風の人が、一生懸命つけまつ毛なんかして欧米人のようなメイクをしたり、ガニマタなのにミニスカートを履きたい人がいるのだ。
なんで自分の他の長所を活かさないのかと思うが、本人は自分の長所には関心がないからしょうがないんでしょう。これをやれば伸びそうだと思うものも本人が嫌いならしょうがない。

ところで、そこまではいかなくとも、自分には何がむいているのかわからないよな、と思う。
このごろ感じるのは、人生はトランプのゲームをやっているようなものだということだ。
あれは、なんという名前の遊びだろうか?同じマークのカードや同じ数字のカードを集めるゲームだ。
人が捨てるカードを拾い、裏返しになっているカードを拾い、自分が要らないカードを捨てるうちに、目的のカードを集めるのである。
最初にたくさん集まっていた数字がいつまでも集まらない時がある。もう集まらないと思ってあきらめて捨てると、その直後に集めていたカードと同じ仲間が現れたりする。
最初に同じ数字のカードが2枚ずつあったりすると、どっちを集めるか迷い、とりあえずどちらも取っておく。うまい具合にどちらかが増え始めればいいが、同じ枚数あるどっちかを捨てる決意をしなくてはならないこともある。
あるときは、全然目にも留めていなかったたった一枚のカードと同じものが急に集まり始めることもある。
そうやって、運命と自分の意思半々の中で、なんらかのカードが集まるということになる。
それが、自分の進む道であり専門分野であるのかもしれない。
ハートを集めたいと思っていてもスペードばかり集まってしまうこともある。しかし、スペードが集まるならその道で進んだほうがいいだろう。
捨てたり拾ったりいつまでも集める種類が決まらないのは困ったことだ。

自然にやっていて、一番多く集まっているものに決めるのが無難なところだろう。
エースやクィーンを集めたいと思っていても、結局2や4だったりすることもある。
冴えない数字だが、それでもちゃんと集まれば安泰である。

いろんなことをしてきたけれど、私の場合、結局は校正の仕事になるのかな~

きょう、以前に出来上がっていた印刷物の再調査をしたのですが、出るは出るはミスの続出。それ一旦完成していたはずのものらしいです。
私には人が作った印刷物のミスがすべて見えてしまうのだ。(注:自分のは見えない)
校正なんて仕事は地味で単純で好きじゃないけど、向いているのかもしれないです。
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船の進水か・・・

2007-09-12 00:04:47 | 未分類過去
木村拓哉さんが映画“HERO”の公開初日の舞台挨拶で、映画を船に喩え、いくら船を作っても水に浮かべなければただのモノであり、進水して初めて船となる、今日見事に進水式を迎えられた、というようなことを言っていて、いいこと言うなあと思った。

そのことで、すぐ思ったこと。
私はいろいろな検定などを受けて資格を取っているが、それはそのままになっている。
全く生かす機会がないから、それはまるで意味を成さない。
すでに勉強した内容も90パーセントくらい忘れている。

世の中には資格オタクなんていう人がいるが、いくつ資格を持っていても、持っているだけではただの教養に過ぎず、ほとんど意味も成さないのだ。

うちの娘は自動車の運転免許を取ったが、家には自動車がなく、また、自動車がなくとも不便がないので、免許を取ってから一度も運転をしたことがなく、いきなりペーパードライバーとなりすでに半年が過ぎている。
もし、私が運転免許を取っても同じことになるだろう。

なかなか進水したくてもできないことが多いのです。
それでも、船を作らなくちゃ進水のしようもないので、作っておこうかと思うわけですが、陸の上にどうでもいい船がごろごろしているような状況になっています。

日本語教師という船はもう廃船にしてしまったし、
知的財産検定だとかビジネスキャリア知的所有権に関する法務なんていう船も、作ってみたものの使いようがないわけです。

やっぱりさあ、船出しなきゃいけないだろう。
船なしで泳いで行くんでもいいかもしれない。
今あるイカダで航海するか。
いや、私は「飛鳥」だったんだ!  
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