昨日は、上野の東京藝術大学美術館で開催されている「夏目漱石の美術世界展」に行ってきました。学生時代は「夏目漱石ゼミ」だったので、このような展示があるのを知ったからには行かないわけにはいかないと思いました。今ではもう昔のような情熱は薄れてしまっているものの、ちょっとした刺激剤になりそうだと思いました。
展示内容は次のように構成されていました。
序章 「吾輩」が見た漱石と美術
第1章 漱石文学と西洋美術
第2章 漱石文学と古美術
第3章 文学作品と美術『草枕』『三四郎』『それから』『門』
第4章 漱石と同時代美術
第5章 親交の画家たち
第6章 漱石自筆の作品
第7章 装幀と挿絵
序章の展示では「吾輩は猫である」の最初に出版された橋口五葉デザインの装幀本で、図案も面白いですが、金の縁がついたり、袋状になっているページをナイフで切りながら開いて読む形式など、当時の貴重なものを見ることができました。
2章の西洋美術に関しては、漱石は著書の中で自分が外国で見た絵画について記述しているのですが、その絵に関する詳細な描写は、いったいどうやって記憶にとどめていたのか、現代のように画集などに収められているものを見ながら書いていたのかと不思議なほどでした。それらの実物の絵が展示されていましたが、まさしく漱石が記述した通りの絵でした。漱石は、英国留学中に西洋美術を熱心に鑑賞していたようですが、帰国してからも「ステューディオ」という雑誌を取り寄せて読んでいたようです。
3章では日本の古美術ですが、一番記憶に残ったのは渡辺崋山の「黄梁一炊図」(1841年)というものでした。
この絵は、私の不確かな記憶によれば、大きな掛け軸の絵のようなものですが、切り立った山河の風景の中に木がありその木に守られるかのように家(宿)があって、その家は開け広げられているのですが、そこで昼寝をしてくつろぐような人が描かれています。その絵全体が、とても気持ちがゆったりするような気分の良くなる雰囲気を醸し出していて、いい絵だなあと思いました。周りの自然は豊かで、少し危険を感じさせるものの、安全な場所でくつろげることのやすらぎが醸し出されているのです。
この絵については、『こころ』の中で、先生が私にあてた遺書中に記述があります。
「私が死のうとしてから、もう十日以上になりますが、その大部分は貴方にこの長い自叙伝の一説を書き残すために使用されたものと思ってください。・・(略)・・私を生んだ私の過去は、人間の経験の一部として、私より外に誰にも語り得るものではないのですから、それを偽りなく書き残して置く私の努力は、人間を知る上に於いて、貴方にとっても、外の人にとっても、徒労ではなかろうと思います。
渡辺華山は邯鄲(かんたん)という画を描くために、死期を一週間繰り延べたという話をつい先達て聞きました。他から見たら余計な事のようにも解釈できましょうが、当人にはまた当人相応の要求が心の中にあるのだから已むを得ないとも云われるでしょう。私の努力も単に貴方に対する約束を果たすためばかりではありません。半ば以上は自分自身の要求に動かされた結果なのです。」
漱石が記した「邯鄲という画」とは、我が家にある新潮文庫「こころ」の注釈によると
「邯鄲酔夢図」のこと。中国の故事「邯鄲の夢」に材を得た絵で、崋山が自刃の直前に描いたものとされる。邯鄲夢は盧生という青年が邯鄲の里で、道士呂公の枕を借りて寝ると、人生の富貴をきわめた一生の夢を見たが、さめてみると、宿の主人のたいていた黄梁がまだ煮え上がっていないほどの短い間のことで、功名や栄華の虚しさを悟るという故事。崋山の絵は呂公の枕を借りた盧生がまさに眠ろうとしているところを描いている。
と説明されています。
今回の展覧会では「黄梁一炊図」となっていますが、これが「邯鄲酔夢図」です。
「こうりょういっすい」の「黄梁」とは「きび」のことで「一炊」は米粟きびなどを炊く時間のことだそうで、「黄梁一炊の夢」ということわざがあるようですが、「きびが炊ける間のつかのまの夢」というような意味だそうで、「邯鄲の夢」と同じ意味でした。
(この絵の一部分(家の中の部分)が掲載されているブログがありました。渡辺崋山の画像)
渡辺崋山が自刃する前に、この絵を画いたというのも驚きます。この絵を画いてからでなくては死ねなかったというほど、重要な絵、画きたかった絵ということなのでしょう。
「こころ」の中の先生が私にあてた手紙もそのようなものであり、いわば生きた証でもあり、残された者たちへ伝えたかったメッセージなのでしょう。
これまで「こころ」を読んでも、この絵については具体的にイメージすることもできず、まるで記憶にもない文面でした。
この展覧会を見て、いろんな場面で気づくことが多く、目から鱗が落ちるような発見が多々あります。
長くなりましたので、今日はこのへんにします。