新茶の季節になってきました。
私の故郷は静岡県なので、お茶は日常の飲み物でした。水のようにお茶を飲みます。
逆に子供の頃から水を飲んだことはほとんどなく、朝から晩までお茶を飲んでいたのです。
たくさんの水を飲むと、なぜか気持ちが悪くなりました。
レストランでは、子供の分だけ水を持ってきたりしますが、お茶をくださいと頼みました。
当時は(それとも土地柄?)、日本茶が有料なんていう飲食店はありませんでした。
最近のニュースで、静岡県のお茶の生産量が、全国2位に転落したというものがありました。これまではお茶と言えば、トップは当たり前に静岡県だったわけです。ところが、今では九州の鹿児島県になったそうで、静岡県ではちょっとあせっています。
なぜ、静岡県が鹿児島県にトップの座を取られてしまったかというのをテレビでやっていました。
鹿児島県の茶畑は平地にあり、収穫は大型の機械によって効率的に行われているそうです。一方、静岡県の茶畑は、だいたい斜面にあり、段々畑になっています。そのため、機械による大量の収穫ができないそうです。
また、気候的にも鹿児島では年に5回収穫しますが、静岡県では年に3回となります。
このようなことにより、静岡県では効率の悪い仕事を引き継ぐ若者がいないので、茶畑はどんどん減っているそうです。
また、静岡県では急須に入れて飲む茶葉を主に生産していますが、鹿児島ではペットボトル用のお茶が多いそうです。最近の日本人は、急須でお茶をいれる人が少なくなってきているので、お茶っ葉の形で買う人が減っているそうです。
なので、せっかく頑張って生産しても売れないということもあるようです。本当に残念です。
という私も、この頃は1日に1回くらい急須でお茶をいれるくらいです。これで、昼と夜に飲みます。朝は夫がいるときは、夫がコーヒーをいれています。夫の朝ご飯は洋食派で、パンとコーヒーです。夕方も夫がコーヒーをいれます。
私は和食派なので、朝は納豆や魚の干物・缶詰等といっしょに夫の入れたコーヒーを飲みます。会社ではティーバックの緑茶や紅茶を飲んでいます。
この新茶の季節になると、やはり日本茶が恋しくなります。実家では5月に1年分の新茶を買うのが習慣です。以前は母の実家がただで大量に送ってきてくれましたが、代が変わってからは、親戚や知り合い関係も変わってきたようで、母の別の兄弟筋に購入してもらうようになったようです。私はそれを帰省したときに何袋かずつもらって来ます。お茶は軽くてかさばらないので持ち運びはしやすいです。
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以前は、実家から東京へお茶を郵送していたこともあり、実家の母が、私の娘家族のところにも送ったりしたのですが、その娘家族が九州の福岡に転勤中だったことがありました。
母も私もその当時、福岡にお茶の名産地があるということは知らなかったのですが、娘から「八女茶」というおいしいお茶があることを聞き、わざわざ静岡県から送らなくてもおいしいお茶が飲めることを初めて知りました。
福岡に行くと、本当に自動販売機のお茶が「八女茶」になっているのでした。
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お茶と言えば、そのほかには、京都の宇治茶があります。
このあいだ、テレビで静岡県が鹿児島県に抜かされたことを放送していたのは、テレビ朝日の羽鳥慎一モーニングショーでしたが、出演者の玉川徹氏は、宇治茶を水だしするのが一番おいしいとのこと。そして、生産量が問題ではないと言っていました。
確かに、鹿児島か静岡かと二つの生産量だけを比べて躍起になっているのは、あまり意味がないかもしれないと、目からうろこでした。
お茶の歴史としては、やはり京都から始まったそうで、確かに高級な玉露がおいしいでしょう。そして、水だしの緑茶は玉川さんが言うようにおいしいものです。
それから、お茶の産地というのは、まだ他にもあるわけですよね。
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ああ、お茶畑が見たいものだ。お茶工場の匂いが、かぎたいものだ。お茶の生産の雰囲気を感じたいものだな~
そういえば、東京や埼玉には「狭山茶」というものがあるぞと思いだしました。
狭山茶があるのは、狭山や入間のほうみたいですが、東大和や武蔵村山あたりにも狭山茶を扱っているお茶屋さんがあるようです。
先日、ちょっと検索したりして探していたのですが、そのうちに行ってみたいと思います。
近々狭山茶を買ってこようと思います。
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さてさて、とりとめもなく書いてきてしまいましたが、
最近はまっているyou tube 動画「スーツ旅行」の「東海道五十三次」です。
ここで、スーツさんが電動アシスト自転車で、日本橋から湘南を走り、箱根峠を超え三島に下って沼津・富士・静岡と進んで行くのでした。
そして、大井川にかかっている蓬莱橋のところで、どうして静岡の牧之原台地が、お茶の名産地になったのか説明していました。
江戸時代に将軍慶喜に使えていた人たちが、明治になって将軍に仕えなくなり、その人たちが、もともと茶を作っていたこの地に戻り、お茶畑の開墾に励んで、お茶を生産するようになったそうです。
そして、牧之原台地と島田の交通の便のためにこの橋が作られました。
慶喜の跡継の人がその橋の名を「蓬莱橋」と名付けたとのこと。
蓬莱橋は、世界で最長の木造の橋(897.4m)だそうで、とてもきれいな景観でした。
私も、新型コロナが収束したら、この地に行ってみたいなと思いました。
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今、行ってみたいと思うところは、狭山茶と静岡茶の産地だなと思います。
(6)【東海道五十三次の旅】自転車で行く 東京→大阪の旅《府中宿→金谷宿》東海道の旅第4日
35分~39分あたりで、牧之原台地のお茶のことを話しています。