この頃、気づいたことなのだが、自分がいかに「ひとりよがり」な生活をしているかということだ。
これは、極端に人との接触が少ないことが原因でもある。
もともと交際範囲は広い方ではないが、新型コロナ以降、友達とランチや飲み会に行くこともなくなってしまったし、会社は在宅勤務体制になってしまい、会社に通勤してくる人がとても少なくなったので、コミュニケーションもほとんどなくなってしまった。
以前は、昼休みに一緒に昼ご飯を食べる仲間も数人いたので、その人たちとの世間話で得られる情報も毎日あった。
それが今は何もないのだ。生身の人間から得られる情報や、受ける影響が極端に少ない。
私が通常、話をする人間は、夫と実家の母親くらいである。
実家母親は、一日中誰とも話をしなかった、などということも多いので、私よりもさらに情報のない世界に居て、おそろしいほどのひとりよがりな考え方をし、生活をしているが、私とて母とそう変わりないのかもしれない。
夫も仕事を引退していて、ほとんど外部との人間とは交流がない。店の人や病院の人くらいだろう。
そんな夫と話をしても、大した情報は得られないのである。
あとは、テレビ・パソコン・you tubeから情報を得るくらいだ。
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これは、ちょっとまずいかもしれないな~と思ったきっかけは、先日、めずらしく数人の人と一緒に、趣味の話などをする機会があったのだが、その中で、ある人が読んだ本の話になり、その作家や著作などについて、他の人がどんどん反応し、答えて話が盛り上がっているのに、私にはチンプンカンプンだったのである。
作家名を聞いたこともないし、その人の作品名さえ、読んだことがないどころか、耳にしたこともなかったのである。どのような傾向の作家であるのもかも知らないのだ。
また、日本の地理についてもわからないことばかりで、過去に何県のどこそこに住んでいたなんてことを聞いても、そこがどんなところなのかも全く見当がつかない。
さらに、どのように電車を乗り継ぐなんてことも、例えば埼玉や千葉など、東京の隣の県についても全く地名や駅名や路線などがイメージできないのだった。
これじゃあ、誰と話しても話にならないじゃないか。
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やっぱり、人と人とのコミュニケーションって必要なのでは?
毎日顔を合わせていれば、何かとその人から情報を得ることができ、それが関心のとっかかりとなるのだろう。
ここ数年、自分でパソコンを開いて、好きな記事を読んだり動画を見たりして、けっこういろんな情報を取り入れていたつもりだけど、それはやはりひとりよがりの狭い知識しかなかったなと感じる。
もう少し、実際の人から情報を得るようにしたいと思う。
津山にいた頃、スイミングクラブの友人で、気が合いそうだからと2人でイタリアへ旅行しました。でも7日間も一緒にいたら、お互い我が出てくるし、イヤなところが目についてもううんざり。帰国してスイミングで顔をあわせても話もしなくなりました。友人って一緒にいるだけで楽しい、肩ひじ張らずに付き合える人がいいです。話し上手、聞き上手で、幅広い情報が得られる人なんて、そうざらにはいないでしょう。
私には津山に40数年になる親友と、その友人の2人だけですが、面白い話に大笑いしたり、一緒にショッピングに行ったり、なにかあると助けてくれる、小難しい話なんてしません。
情報は新聞やネットからで十分ではないですか? だれとでも話が合うようになりたいと思う向上心は立派ですが、人付き合いの苦手な私にはとうてい無理ですわ。
学生時代に近所に住んで親しくしていた友人と数年前に10数年ぶりに会ったところ、全然考え方が合わなくなっていて、もう一度会おうとは思えなくなってしまいました。最近またどうしているかなと気になっていますが・・・。
最近私が思うのは、新聞やネットから取る情報が、自分だけの取捨選択によって偏ってきているのかも?と思った次第です。特に親しい人でなくとも、多くの人と接していれば、そういう人たちの関心事や意見から、自分が目を向けようとも思わなかったものに目が向けられる機会があるのでは、と思います。
でも、現状、なかなか今の環境は変えられそうもありません。