先日、東京国立近代美術館の「ハニワと土偶の近代」という展覧会を観に行きました。
そこには、埴輪や土偶をモチーフにした絵画や彫刻などが、時代を追って展示してあったわけですが、この辺りは、戦後の時代の作品になり、かなり現代に近いのものになってきます。
そこで、この「矛盾の橋」という絵を見て、一瞬くぎ付けになりました。
絵の横に表示されている解説によりますと、
高山良策(1937~82) 「矛盾の橋」1954年 油彩 キャンバス 板橋区立美術館
原爆ドームの屋根から首を出しているのは広島の平和大橋
イサム・ノグチがデザインした欄干である。
題名の「矛盾」は、都市復興の一方で遅れる被爆者救済の状況をさすという。
背景に見える丹下健三の平和記念資料館は、ノグチに当初依頼されていた原爆慰霊碑が却下された代わりに丹下案となった当時の話題も連想される。
とのことです。
「被爆者救済」といえば、日本被団協が今年ノーベル平和賞を受賞したという話題も思い浮かぶもののそれはおいといて、私にとってはイサム・ノグチに興味が強くありました。
私は2年前に、札幌の「モエレ沼公園」に行ったのですが、あの公園が「イサム・ノグチ」の設計によるもので、その時にこの人のことを初めて知ったのです。あのピラミッドのようなガラスの建物と壮大な芸術的構造物である公園は、とても印象の強いものでした。
私にとっての興味深い新情報は、
そのイサム・ノグチが、原爆ドームの近くの平和大橋の欄干のデザインをしていたこと。
慰霊碑もイサム・ノグチがデザインすることになっていたが却下されたこと。
でした。
帰宅後に実物の橋を検索してみてみると、この絵のように顔にはなっていなくて、棒の先に丸いのがついているのですが、確かにこの絵に描かれているものでした。(平和大橋)
そして、慰霊碑が却下された件について調べてみました。
すると、元々丹下健三が、イサム・ノグチにデザインをするように計画を進めており、イサム・ノグチがかなり魂を込めて慰霊碑の構想を立て、デザインを作っていたものの、広島平和記念都市建設専門委員会が抽象的すぎて難解だと言う理由で反対して却下されてしまったのだそうです。
その慰霊碑のデザインというのが、実は今回の展示の中にありました。
それは、古代の家型の埴輪をモチーフにしたものだそうです。
これに関する記事をweb上で見つけました。イサム・ノグチの慰霊碑創作に向ける想いや、慰霊碑却下の経緯についても記載されています。
「この1点に会いに行こう
イサム・ノグチの幻のモニュメント模型 実現しなかった広島でのデザイン」
私は、このモニュメント模型を今回の会場内で見かけました。しかしその時は、それがイサム・ノグチのものとも知らず、確かに単純すぎるし、美しいものでもなかったので、あまり関心も持たずに通り過ぎてしまいました。ただ、それがあった事、その存在感は印象にあるのです。
そして、この記事を読んでみて、イサム・ノグチが単に原爆の被害者に対する慰霊のみに終わらせたくないという気持ちで設計した、奥の深いものだったのだなと思いました。
この絵はまさしくそれを知らせるために展示されていたものであり、慰霊碑のモニュメントにもその説明が書かれていたはずですが、その時は全然気づかず通り過ぎてしまいました。でも、帰宅後に知ることができてよかったです。
この辺りの展示には岡本太郎の作品も何点かあり、またイサム・ノグチの写真や他の作品もあって、この人たちが昔の埴輪などのモチーフを使って芸術作品を作っていることがわかりました。
岡本太郎の太陽の塔などもそうだったのですね。
イサム・ノグチは、埴輪に対する関心が強かったようですが、モエレ沼公園では、ピラミッドや古墳を思わせるものもあり、不思議な世界でした。
モエレ沼公園(イサム・ノグチについても解説があります。)
広島の原爆ドームは高校の修学旅行で行ったことがあるのですが、ほとんど忘れてしまいました。元々、そんなに長い時間は見学していなかったはずです。
今度広島に行ったら、「平和大橋」や「平和の泉」なども見たいと思います。
東京国立近代美術館
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