山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

式場隆三郎[脳室反射鏡](練馬区立美術館)

2020-10-11 17:47:23 | 美術・美術館

本日は、練馬区立美術館に行き「式場隆三郎脳室反射鏡」という企画展を見てきました。

実は、私は「式場隆三郎」(1898~1965)という人のことは全く知らず、初めて聴く名前でした。

この方は、精神科の医者であるとともに、文芸や美術に関する活動もさかんに行った人だということがわかりました。

中でも、ゴッホの複製画展を日本各地で開催したことは、多くの日本人がゴッホの絵を身近なものとしたことで、大きな影響力があったと思います。それから山下清の創作活動などにも力を添えて展覧会を開き、こちらも多くの日本人が山下清という人と作品を身近なものとするようになりました。

というのは、私の特に主観的な印象ですが、田舎で育った私が子供の頃に、市内の唯一の会館で、山下清の展覧会が開かれ、親に連れられて行ったのを覚えているのです。それは1960年代だったので、確かにその時代に相当すると思いました。

またゴッホについても、私が子供の頃、実家の居間にゴッホの「跳ね橋」の複製画が額に入れられて飾られていました。その絵を親がどうやって手に入れたのかは、子供の私は知りませんでしたが、やはり時代背景が一致すると思いました。

私が生まれる数年前くらいに、ゴッホ展が日本各地で開かれたようです。私の親は絵画の趣味などはないのですが、当時の流行のような感じで、ゴッホの絵が世間に広まっており、その中で気に入った絵を買うことにしたのでしょう。

そうやって確かにゴッホと山下清は、日本の田舎の一庶民の家庭にさえ浸透していったんだと感じました。

今日、展示の中で、山下清の切り絵やゴッホの絵を見て、子供の頃のことを思い出しました。そして、ゴッホの絵の素晴らしさは当然ながら、山下清の貼り絵も、やはりすごいなと思いました。そして、ゴッホの絵と山下清の切り絵は、細かい色の断片から出来上がっているところが似ているなと感じました。

ゴッホは、精神病になって自分の耳をナイフで切り落としたというのは有名な話ですが、式場隆三郎氏が精神科の医師であるため、専門的な医学の面からもゴッホを研究して書物にもしているようです。

式場隆三郎の写真を見ると、とても素敵な人でした。山下清が描いた式場隆三郎の肖像画はそっくりでした。

式場隆三郎という人は、とても人間としての温かみがあり行動力のある人で、芸術・文化・医学など多方面で功績があった人だと知りました。

あっ、そういえば驚いたことに、若いころの草間彌生についても、その才能を見出し世に出すべく引き立てています。草間彌生も精神病だったのでしょうか?

一種の精神病や狂気や発達障害のような人たちがすぐれた芸術の才能を発揮するということがあるようです。

草間彌生は芸術家として今や超有名で不動の立場にあるではないですか。そんな人も無名な若い頃があって、そのころに才能を見出し開花の手助けをしてくれた人が式場隆三郎だったのですね。

式場隆三郎氏が作った病院は今も子孫に受け継がれ、今は孫の方が病院の院長をしていらっしゃるようです。

書くことは支離滅裂になりますが、式場隆三郎の医学生時代の仲間として、柳宗悦・岸田劉生・武者小路実篤などが居るそうです。私個人としてはこの柳宗悦に最近関心があります。実はこの人が何をしたのかよく知りませんが、名前だけは以前から知っていますので、式場隆三郎以上に時代に影響を与えた人物なのかと思います。

こういう時代に、芸術や文化の旋風を起こす人々というのは、必ず「仲間」というものがあって、その人たちが世の中の関心を高めたりして新しい時代を作っていくのですね。けっしてたった一人でそのようなことを起こすわけではありません。

そう思うと、今この令和という時代には、いったいどういう仲間がどんなことを広げているものなのだろうか、と知りたくなりました。時代が過ぎてからわかるものなのかもしれませんが・・・。

今回はここまでにしておきますが、次の記事では、この展覧会で偶然に出会った「ゴッホの椅子」について書きたいと思います。

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