山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

湊川神社

2014年04月10日 | 神社・仏閣

神戸の町を歩いていると「湊川神社」がありました。 

楠木正成(大楠公)の神霊を主祭神とし、子息の楠木正行(小楠公)および湊川の戦いで斃れた一族十六柱と菊池武吉の神霊を配祀。

戦後になって大楠公夫人久子の神霊も合祀されています。

元禄五年(1692)、権中納言徳川光圀公(水戸黄門)は、家臣佐々介三郎宗淳を遣わして碑石を建て、光圀公みずから表面の「嗚呼忠臣楠子之墓」の文字を書き、裏面には明の遺臣朱舜水の作った賛文を、岡村元春に書かせて、これに刻ませました。

この墓碑の建立によって、正成公の御盛徳は大いに宣揚されるとともに、幕末勤王思想の発展を助け、明治維新への力強い精神的指導力となったそうです。

これにより明治元年(1868年)、明治天皇は正成公の忠義を後世に伝えるため、、当時のお金で千両という大金にて神社を創建するよう命じ、明治2年(1869年)には御墓所・殉節地を含む7,232坪(現在7,666坪)を境内地と定められ、明治5年(1872年)5月24日、湊川神社が創建。

現在の社殿は、戦災によって焼失したものを、昭和27年10月24日に復興新築されたもので、様式は権現造に似た八棟造りとされ、鉄筋コンクリート造で建てられており、戦後の新しい神社建築様式としての代表的な建物と言われています。

拝殿天井の絵が素晴らしくて、思わず息をのみました。

あとで調べてみると、拝殿天井の絵は全国著名画家の奉納。

中央の「大青龍」は福田眉仙の作、その右四枚の板画「運命」は、棟方志功がニーチェのツァラトウストラに暗示を受けて創造した作品。

その時撮った画像をあらためて確認してみると「大青龍」の一部しか写っていませんでした。