グリーンズ・テイブル

ppのピアニッシモな戯言でござ~い☆

兄の思い出

2007-10-16 11:21:32 | 生と死

30代に入ってから障害者雇用枠で大企業に就職した兄は東京に住み、40代に入って結婚し、それなりに幸せだったと思うが、50代の若さで病気で逝ってしまった。

もう助からないという知らせが入った8月、認知症が出始めた母を連れ兄妹3人で、国分寺にある病院へ見舞った。すっかり痩せていて、冷房が効きすぎているせいもあったのだろう、スリッパを履かせようと触った兄の足は異常に冷たかった。帰るとき、エレベーターの見えるソファーの所に座り見送ってくれた。私達4人はドアが閉まるまで笑顔を保った。兄のこちらをじっと見つめる淋しそうな顔、それが最期だった。

私が赤ん坊の頃、12歳年上の兄は母が買い物で出かけている間、私をだっこしていたそうで、私もその兄に対しては兄妹というよりは小さい親がもう一人いる感覚で育ち、兄妹喧嘩など一度もしたことがない。
口数少なく、はにかむような笑顔。頑固一徹な父に兄妹の中で唯一逆らう私をニヤニヤ見ていた。

小さいときに足を悪くした兄は小学校入学が一年遅れ、動き回って遊ぶ子供達をただ座ってみているだけで、一緒に遊ぶことは出来なかった。今思えば、辛い思いをいっぱいしたろうに、すれなかったのは、両親の態度と、本人の精神がしっかりしていたからだろうと思う。高校生の時美術クラブに入っていた兄は就学前の私をモデルにして描いてくれたことがあった。あの時の私は子供心にもオレンジに黄色がさした色彩のその絵は良いとは思わなかった、兄にしてみれば、純真に輝いていた妹を描いたのかもしれない。ちゃんともらって大切にとっておくべきだった…

兄のお嫁さんは鹿児島出身、東京で知り合い、入籍をしただけだったので、向こうのご兄妹と初めてお会いしたのは東京での葬儀の席。だんだんとうち解け、お通夜の晩は、鹿児島と北海道の方言や産物、観光の話しで結局は大いに盛り上がり、楽しいお通夜になってしまい、ここに兄が居ないのが不思議な感じさえした。

先週の土曜日13日が命日、冷たい風が吹きまくる中だったが、お墓参りが出来て良かった。

写真:ゼラニューム
花が付いたまま折れてしまったので、水に差しておいたら、そのまま忘れてしまい、気が付いたら根っこがしっかり生えているではありませんか、強い生命力!じき鉢植えしようと思います。


楽しいこと、美味しいものは……新しい力にかわってくれる☆

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