1958年
大洋入りが決まった早大の四番打者近藤晴彦外野手(22)=静岡高出身=は六日正午両親とともに静岡から上京、すぐに丸ビル内の大洋球団事務所で入団の正式契約を行った。近藤外野手は二年生の春からレギュラーとなってベスト・テンの二位、三年生のときは十二指腸かいようのため秋は出場しなかったが回復したことしは春、三割三厘で再びベスト・テン(七位)に入る活躍をした。大洋入りが決まる前、大昭和製紙入社が決定、本人は社会人野球界で活躍する意志だったが、両親からプロ入りをすすめられて大昭和に採用通知を返し五日母親ちよさん(46)と大昭和へ行き話しあいをすませている。1㍍73、67・5㌔、右投右打、背番号は7番。
森社長の話 メガネをかけているのが気になるが、このハンデを除けば足も早いし、バッティングもあるので優秀な選手だと思う。静高時代神宮でホームランを打ち、早大に入る前すでに南海あたりからねらわれていたようだし、大器になる将来性はある。
近藤選手の話 初めは大昭和に行くつもりだったが両親からプロ入りをすすめられ、プロへ行くなら早大でお世話になった森さんのいる大洋と決めたわけです。ナイターをやった経験がないので、メガネがどのくらいハンデになるか心配になりますが、もう一つ体のコンディションをうまく保って行けるかどうかも心配です。
大洋入りが決まった早大の四番打者近藤晴彦外野手(22)=静岡高出身=は六日正午両親とともに静岡から上京、すぐに丸ビル内の大洋球団事務所で入団の正式契約を行った。近藤外野手は二年生の春からレギュラーとなってベスト・テンの二位、三年生のときは十二指腸かいようのため秋は出場しなかったが回復したことしは春、三割三厘で再びベスト・テン(七位)に入る活躍をした。大洋入りが決まる前、大昭和製紙入社が決定、本人は社会人野球界で活躍する意志だったが、両親からプロ入りをすすめられて大昭和に採用通知を返し五日母親ちよさん(46)と大昭和へ行き話しあいをすませている。1㍍73、67・5㌔、右投右打、背番号は7番。
森社長の話 メガネをかけているのが気になるが、このハンデを除けば足も早いし、バッティングもあるので優秀な選手だと思う。静高時代神宮でホームランを打ち、早大に入る前すでに南海あたりからねらわれていたようだし、大器になる将来性はある。
近藤選手の話 初めは大昭和に行くつもりだったが両親からプロ入りをすすめられ、プロへ行くなら早大でお世話になった森さんのいる大洋と決めたわけです。ナイターをやった経験がないので、メガネがどのくらいハンデになるか心配になりますが、もう一つ体のコンディションをうまく保って行けるかどうかも心配です。