プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

三平晴樹

2015-05-20 21:55:43 | 日記
1957年

三平投手は今春秋田商高から日鉱日立に入社したばかりの新鋭で今季後楽園で行われた産業大会で15三振を奪う快投を見せ一躍クローズ・アップされたものである。三平投手の獲得戦には大毎のほかパでは近鉄、セでは大洋が積極的で、特に大洋では産業大会以前から勧誘に乗り出していたが、周囲の事情が大毎に非常に有利であったことがポイントと見られている。大毎はさきに川崎トキコの鈴木投手の争奪戦で大洋にやられたがこれで左腕投手の補強ができたわけである。大毎の投手陣はこの補強で十九名の大勢力となったが、左投手が三平を加えると荒巻、小野、和田、青山、野口と六名になりプロ球界でも珍しい左腕投手陣ができるわけだ。三平投手が入団早々のシーズンどれだけ活躍をするかわからないが一時獲得有望といっていた大洋の迫畑総監督は案外鈴木よりやるかも知れないと見ており別当監督もシュートがないがフォームがよい。ちょっと中日の中山といったタイプと評している。

秋田商から今春日鉱日立に入社した新鋭。高校時代は慶大に進んだ三浦とともにマウンドを踏んでいたが、三浦にくらべて安定感がないために起用されることが少なく、三浦ほども中央に知られなかった。つまり左腕にありがちなコントロール難のため真価を発揮できなかったものだが、日鉱入りして砂押監督の指導を得てからめっきり進歩した。下半身の弱かった欠点をランニングで矯正、夏の都市対抗当時までは基礎練習一本で鍛えられた。公式戦に初めてデビューしたのが十一月初旬の産業野球大会の対東洋紡富田戦でこの初登板に奪三振十五本の大会新記録をつくりにわかに脚光を浴びた。武器はひざ元をつく直球で内外角ともよい伸びをもっている。シュート、カーブはまだ甘いがこれはまだ本格的には練習をつんでいないためで、周囲も彼に直球一点張りで押すようにすすめていた。それだけに本人もスピードには自信を持っておりプロの水になれれば意外な躍進を見せるかもしれない。左投げ左打ち五尺七寸五分、十八貫。

迫畑大洋総監督の話 うちは産業野球前から三平をマークしていた。私も直接本人とあったこともあるしその時は大洋へいきたいともらしてくれた。しかしその後大毎や近鉄から話があったようで特に大毎には彼の周囲が強くすすめていた気配もあった。十一日本人と話をし、その時に大毎入りをうすうす感じ、うちとしてはがっかりしたところだ。三平が入れば鈴木に次いで左投手が四人になると考えていただけに全く残念だ。

三平選手の話 大毎オリオンズのほかに大洋と近鉄からも話がありましたが、僕は東北出身なので在京チームへ入ることにしました。そのなかからオリオンズを選んだのはチーム・カラーと別当さんの人格にひかれたからです。スピードには自信を持っていますが、ドロップにまだまだ甘い点があるのでこれから一生懸命勉強して早く第一線に立てるよう努力する。
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岡田忠弘

2015-05-20 06:04:49 | 日記
1957年

東京六大学準硬式野球部随一の折紙つきの岡田投手の、東映フライヤーズ入りのきっかけとなったのはことしの八月末のことだった。駒沢球場で対毎日戦をまえに激しい東映の練習が行われていた。この一団の中で岩本監督、米川主将の注視を浴びてテストを受けていた一人の選手がいたが、これが岡田選手だった。このときこの岡田選手はこう語っている。ボクは絶対の自信をもっていたのですが、やっぱりプロ野球の監督さんのみつめている間ではあがってしまいました。しかし、このとき岩本さんから君のボールはシュートがきいている。どうだね、やってみるかねといわれ、米川さんもスピードもあるし、努力すれば使えるだろう。まだ腕だけで投げている感じだが、ランニングをやってバネをつければ…。といわれたときは本当にうれしかった。これよりさき、ノンプロの明電舎からも引っぱられていたが、岡田はノンプロよりもプロに魅力を持っていた。もともと彼は硬球の出身で、二十八年の選抜大会を前に彼のいた栃木高は県下シード校にあげられていた。しかし投手兼遊撃手として大活躍したが彼一人ではどうにもならず敗れた。そして二十九年春明大の準硬式野球部に入った。硬式に入らなかったのは勉強したかったからといっている。そしてその年の秋のリーグ戦から明大準硬式野球部のエースとしてのリーグ対法大戦では三振十七個を奪うノーヒットノーランをやってのけた。彼のピッチングはあくまでも正統派でスピードを武器としている。スリークォーターから投げられる球は打者の手元へきて自然にシュートがかかる。自分では全く意識していないという。この点を岩本監督もかったものだろう。大学を通じリーグ成績は42勝20敗を記録している。五尺八寸、十九貫、右投右打と野球選手としては決して大きいとはいえない。しかし、その度胸のよさは輝くものだ。というのはボクシング選手としても一流の彼なのだ。二十八年の第八回国体には栃木県代表選手に選ばれ、フェザー級に出場した。ついさきごろ明大体育祭ではフェザー級チャンピオンを獲得した。プロ入りとこの優勝で学内の人気を一身にうけている。一月十五日から伊東でやるキャンプに入るのが待ち遠しいです。大橋さんの例もありますしボクとしても負けられません。一年ぐらいは二軍でみっちりやりたいと思っています。カーブをマスターしたいと思っています。幸い体には自信はあり、やれるところまでやってみるつもりです。と抱負を語る。この金の卵が温かい東映フライヤーズの中にかえり、育てられる元気な姿をみせるのもそれほど遠くはあるまい。
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