プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

江崎照雄

2015-05-10 22:19:32 | 日記
1956年

同選手は岡崎市板屋町の出身で竜海中出、石川克投手(中日)の一年後輩であり、中京商業では中山投手(中日)の一年先輩であった。毎日と契約した動機は「私を一番ほしがっている球団に行こうと思っていたが大映、阪急、阪神などからも勧められたが、毎日オリオンズの若さにひかれ、また別当監督の熱心な勧誘で決めました」と語り、別当監督は「リーグ戦中二、三回みにいったが、うちの中西より球は速いだろう。だが、まだカーブがものになっていないのでこれからカーブをマスターさせたいと思っている。いわば本当の未完成の投手でよその球団でもこの選手のことをよく知っているならば必ずほしがるような型の投手だ。まだまだ若いし完成していないので来シーズンは大いに期待している」といっている。また黒崎専務は「これで投手力が大分プラスになったし、あと外野ともう二、三人の投手、それから欲をいえば捕手がほしいと思っている。しかし来シーズンは二軍といったような考え方はなくして全部すぐ使えるような力量のものばかり集めたいと思っている、というのは関西ではファームリーグチームがリーグ戦をやっているが、関東ではそれをやる暇がない、それで二軍の選手も伸びるところがないのでそういうことになったのだ」と語っている。

江崎投手経歴 江崎投手は中京商出身当時から豪速球投手として定評があった。甲子園の大会には夏は出場出来ず二十六年の春二年生の時選抜に出場しただけでそれも準々決勝で長崎西高に敗れ余り恵まれなかった。しかしこの当時の速球は大学級といわれていた。二十八年日大に入学期待を集めたが、二年までは河内、それ以後は島津と東都有数の好投手の陰にかくれ、これまた恵まれた球生活ではなかった。六尺一寸、二十貫の優れた体格には似ない気性の弱さが原因していたためである。しかし今シーズン島津が前半の故障で精彩を欠くと責任を感じて好投を続け日大優勝の原動力となり最優秀投手に選ばれた。力で打者と真っ向からぶつかる本格派投手で以前から実力はあったのだが、漸く今シーズン実を結んだものである。
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上条皇裕

2015-05-10 22:00:16 | 日記
1958年

大毎オリオンズ入りを決定した足立高の主将、エース上条皇裕(たかひろ)投手(18)は二十五日午後五時から有楽町の大毎球団事務所で入団の正式契約を行った。上条投手は都内高校野球界では右腕のナンバーワン投手といわれ、すでに巨人入りした左腕の早実王投手と並び称されていた。オーバー・スローのストレートにはスピードとともに伸びがあり、本格派の投手。義兄が勤めているペプシ・コーラの日本支社支配人若林忠志氏(元オリオンズ監督)の帰国を待って、若林氏立ち合いのもとに正式に契約したもの。1㍍70、68㌔。球団に来あわせていた小野投手、葛城内野手にしっかりやって優勝しようと激励されホオを紅潮させながら次のように語った。

上条投手の話 もう市川のグラウンドに行って練習していますが、二十七日から入る伊東の合宿には小野さんや先輩の投手たちが一緒なので、楽しみです。いろいろ教えてもらっていい投手になりたいと思っています。
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