プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

木原義隆

2017-10-07 17:36:03 | 日記
1971年

「とうとう勝てないままだった。いいところまでいきながらつまずいてしまう。勝利から長い間遠ざかっているため、どうしてもあせって失敗する。後半戦になったら何とか・・・」今季前半戦を終わった夜、名古屋で木原がクチビルをかみしめながら話していた。とにかく木原は白星を忘れて久しかった。四十三年に近鉄から大洋に移り、昨年広島のユニホームを着たが、この三年間は白星ゼロ。その木原が後半戦の大事なスタートに先発して、大洋を3安打の完封。なにしろ完投は四十一年九月十五日に、藤井寺の阪急戦で記録して以来五年ぶり。完封はプロ入り七年まで、何とこの夜が初めてである。「直球、シュート、カーブの三種類のタマしかないが、きょうは全部がよかった。いつもリードしていながら打ち込まれるが、きょうは0-0のスコアのつもりで、最後まで慎重に投げ抜いたのがよかったと思う。先日(十三日)の中日戦でメッタ打ちされて、さんざんお説教をされたこともあるし、このまま引っ込んでは男がすたると思ってがん張った。最後はやはり堅くなったが、やっといけた」流れる汗もぬぐわず、初完封の弁はつきない。今季は前半戦の故障も木原にとって痛手だった。開幕後間もない、四月二十一日の対大洋5回戦(川崎)で重松の打球を右手の中指に当てて、約二ヶ月戦列を離れている。「もう野球生活も終わりかと思った。だが指が曲がったらカーブのキレがよくなったから!」とも話しているように、カムバック後はカーブの威力が増大したもは見のがせない強み。このときも先発は白石の予定だったが、上京の飛行機が遅れたため、横浜に住んでいる木原の登板に変更されたもの。「よく投げた。いつも前半を好投しながら、後半にはいったとたん投球のテンポが速くなって失敗を重ねていた。きょうは一球一球を丁寧に投げたのが、シャットアウトにつながった」これは根
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荻原隆

2017-10-07 17:07:19 | 日記
1954年

最優秀投手 荻原隆(ジュニア・ロビンス)防御率1・20
熊谷高校から25年春、大洋ホエールズに入団、27年松竹に移り肩をこわしていた。
シュート投手。5尺5寸、15貫、23歳、右投右打
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飯山正樹

2017-10-07 16:37:54 | 日記
1971年

北川工は優勝をうかがっている。春の県大会へ進めなかったのが発奮材料になった。エース飯山が速球ときれのよいカーブで安定したピッチングを見せる。
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