1952年
広島カープに入団する日系米人の銭村健三、銭村健四および光吉勉(ベン)三選手は予定より遅れて十八日午前零時四十分、東京国際空港に到着、出迎えの石本前監督らとともに都内文京区駒込の宿舎錦水ホテルで来日第一夜をあかし、十八日午前十一時記者会見を行った。三選手はいずれも元気いっぱい「トレーニングは十分だからいつからでもプレーできる」と広島入りの抱負をつぎのように語った。
光吉勉選手「ジャイアンツの試合をフレスノで見たが、立派なチームだと思った。ぼくはカーブと速球が武器。肩には自信があるから出されたら思いきってびゅんびゅん投げてみる」
銭村健三選手「本職は二塁だがときにはリリーフに出たこともある。カーブならいくら投げても平気だ。監督さんがいうポジションならどこでも一生懸命にやるつもりだ」
銭村健四選手「去年来たときからどうしても日本に来たかった。巨人との試合にはフレスノ代表として二度ばかり出た。期待されて入団したのに打てなくては恥ずかしいから打撃に専念するよ」かろうじて日本語のやっとわかる銭村健三選手を通じてプロ入りの弁をのべる三選手はスポーツマンらしい明るさをたえずふりまいていたが、表情は真面目そのもの、会見中少しも態度をくずさない。石本氏も「宿舎でもぼくにタバコを吸ってもいいですか、ときいてからケースをとりだすほどで、摂生ということには感心するくらい気を配っている。監督絶対服従の本場で育ってきたかれらがグラウンド・マナーの点でも広島に新しい活気を吹きこんでくれるものと喜んでいる。銭村兄を一番、金山、銭村弟、小鶴、大沢とならべたいがやってみなければなんともいえない。しかしこれで広島の打線が一まわり大きくなったことは事実で、当面の課題は阪神を抜くことだ」といかにも満足そうだった。三選手は十八日間ホテルで河口代表と本契約調印をすませ、夜行で広島に向ったが、廿一日広島で行われる巨人戦から出場の予定。
広島カープに入団する日系米人の銭村健三、銭村健四および光吉勉(ベン)三選手は予定より遅れて十八日午前零時四十分、東京国際空港に到着、出迎えの石本前監督らとともに都内文京区駒込の宿舎錦水ホテルで来日第一夜をあかし、十八日午前十一時記者会見を行った。三選手はいずれも元気いっぱい「トレーニングは十分だからいつからでもプレーできる」と広島入りの抱負をつぎのように語った。
光吉勉選手「ジャイアンツの試合をフレスノで見たが、立派なチームだと思った。ぼくはカーブと速球が武器。肩には自信があるから出されたら思いきってびゅんびゅん投げてみる」
銭村健三選手「本職は二塁だがときにはリリーフに出たこともある。カーブならいくら投げても平気だ。監督さんがいうポジションならどこでも一生懸命にやるつもりだ」
銭村健四選手「去年来たときからどうしても日本に来たかった。巨人との試合にはフレスノ代表として二度ばかり出た。期待されて入団したのに打てなくては恥ずかしいから打撃に専念するよ」かろうじて日本語のやっとわかる銭村健三選手を通じてプロ入りの弁をのべる三選手はスポーツマンらしい明るさをたえずふりまいていたが、表情は真面目そのもの、会見中少しも態度をくずさない。石本氏も「宿舎でもぼくにタバコを吸ってもいいですか、ときいてからケースをとりだすほどで、摂生ということには感心するくらい気を配っている。監督絶対服従の本場で育ってきたかれらがグラウンド・マナーの点でも広島に新しい活気を吹きこんでくれるものと喜んでいる。銭村兄を一番、金山、銭村弟、小鶴、大沢とならべたいがやってみなければなんともいえない。しかしこれで広島の打線が一まわり大きくなったことは事実で、当面の課題は阪神を抜くことだ」といかにも満足そうだった。三選手は十八日間ホテルで河口代表と本契約調印をすませ、夜行で広島に向ったが、廿一日広島で行われる巨人戦から出場の予定。