プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

銭村健三、銭村健四、光吉勉

2017-10-27 20:47:47 | 日記
1952年

広島カープに入団する日系米人の銭村健三、銭村健四および光吉勉(ベン)三選手は予定より遅れて十八日午前零時四十分、東京国際空港に到着、出迎えの石本前監督らとともに都内文京区駒込の宿舎錦水ホテルで来日第一夜をあかし、十八日午前十一時記者会見を行った。三選手はいずれも元気いっぱい「トレーニングは十分だからいつからでもプレーできる」と広島入りの抱負をつぎのように語った。

光吉勉選手「ジャイアンツの試合をフレスノで見たが、立派なチームだと思った。ぼくはカーブと速球が武器。肩には自信があるから出されたら思いきってびゅんびゅん投げてみる」

銭村健三選手「本職は二塁だがときにはリリーフに出たこともある。カーブならいくら投げても平気だ。監督さんがいうポジションならどこでも一生懸命にやるつもりだ」

銭村健四選手「去年来たときからどうしても日本に来たかった。巨人との試合にはフレスノ代表として二度ばかり出た。期待されて入団したのに打てなくては恥ずかしいから打撃に専念するよ」かろうじて日本語のやっとわかる銭村健三選手を通じてプロ入りの弁をのべる三選手はスポーツマンらしい明るさをたえずふりまいていたが、表情は真面目そのもの、会見中少しも態度をくずさない。石本氏も「宿舎でもぼくにタバコを吸ってもいいですか、ときいてからケースをとりだすほどで、摂生ということには感心するくらい気を配っている。監督絶対服従の本場で育ってきたかれらがグラウンド・マナーの点でも広島に新しい活気を吹きこんでくれるものと喜んでいる。銭村兄を一番、金山、銭村弟、小鶴、大沢とならべたいがやってみなければなんともいえない。しかしこれで広島の打線が一まわり大きくなったことは事実で、当面の課題は阪神を抜くことだ」といかにも満足そうだった。三選手は十八日間ホテルで河口代表と本契約調印をすませ、夜行で広島に向ったが、廿一日広島で行われる巨人戦から出場の予定。
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銭村健三、銭村健四、光吉勉

2017-10-27 20:27:57 | 日記
1952年

銭村健三(26)二塁、投手=フレスノ(加州)出身=州立フレスノ大卒、右投、左打、5尺6寸、16貫、背番号23、六月十日、コリンガ(加州)で行われた対コリンガ・オイラー戦に投手として出場、セミ・プロであるコリンガを10-4で破った。二月廿一日、フレスノ・オールスターに選ばれて弟健四選手とともに中堅、右翼を守り快打を放っている。

銭村健四(24)外野手=フレスノ(加州)出身=州立フレスノ大卒右投、右打、5尺7寸、17貫、背番号25、昨年八月米東部学生代表として来日、中堅手として好守、好走、強打をみせた。

光吉勉(25)投手=アモナ(加州)出身=ハンフォード・ハイスクール卒、左投、左打、5尺8寸、20貫、背番号11、ハイスクール時代から野球をはじめたが速球カーブに威力がある。
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渡辺信義 勝利日

2017-10-27 18:25:52 | 日記

1952年8月10日
   8月17日
   8月30日
   9月2日
   9月7日
   9月18日
1953年4月26日
   5月17日
   8月8日
   9月6日
1954年4月29日
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原田孝一 勝利日

2017-10-27 08:11:20 | 日記


1950年11月22日
1951年6月6日
   7月26日
1952年5月11日
   6月5日
   6月17日
   6月22日
   6月25日
   7月27日
   8月10日
   9月12日
   9月15日
1954年3月31日
   4月14日
   5月5日
   5月29日
   5月30日
   6月8日
   7月1日
   7月11日
   7月18日
   7月27日
   8月4日
   8月7日
   8月21日
   9月15日
   10月10日
1955年4月5日
   4月7日
   4月9日
   5月11日
   5月17日
   5月21日
   9月29日
1956年7月17日
   7月22日
   9月9日
   9月12日
   9月30日
1957年8月15日
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鈴木幸雄

2017-10-27 07:30:04 | 日記
1953年

奇妙なフォームのアンダースローで、阪急のプレートに立ったときは、一寸注目を引いた。浮上る球、シュートの使い方もよく、ナイターに強い。昭和廿六年入団で、今年で三年目、彼の舞台は期待を持てる。廿八回登板八勝八敗の成績。

右投右打 和歌山市 五尺六寸十六貫 光風工高ー阪急
西宮市高木高松町七四 甲武館内
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