プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

ニューカム

2017-10-21 23:47:49 | 日記
1956年

私は今度ナショナル・リーグの最優秀投手でしかも「最優秀選手」に選ばれたドジャースのエースのドン・ニューカムに大きな期待を持っていた。彼は試合前の投球練習を正確に15分間行った。美しいリズミカルな投球フォームからくり出す速直球とブレーキの鋭いカーブを投げていた。6尺4寸の彼の投法は文字通り堂々たるものである。しかし、練習中から少しコントロールが悪いように見えた。試合となってから与那嶺四球後、豊田が第一球を右翼スタンドに本塁打し、つづく中西、川上、山内と連続安打を放ち、無死でKOされてしまった。おそらくワールド・シリーズにおける不調で自信を失ったことが未だに回復しないためであると思うが、それにしても不思議に思われることは彼が一つもカーブを投げなかったことである。かわった新人投手のローバックはその後よく押えたが、五回に中西に2点ホーマーされた。ローバックはよいカーブを多投していた。ニューカムの不調があったとはいえ、日本の打者は実によく打った。とくにパ側の打者たちが快打していた。ドジャースの打者は島原のカーブに押えられ、四回にようやく1点を返したが、代わった大崎、三浦も打てなかった。この試合はまったく、主客転倒の感があったが、ドジャースの不調もさることながら日本の選手が攻守ともに立派な健闘をしたことは絶賛されてよいと思う。これは漫然の結果ではなく、近年日本の球技が異常の向上進歩をとげたことを証明するものであると思う。

オルストン監督「この日のゲームでは日本の投手の方がニューカムよりはるかに出来がよかった。ニューカムはワールド・シリーズ以来まったく不調で、この日見たところでは今までのフォームとちがい、わたしの判断では肩を痛めたのではないかと思う。本塁打を打った豊田、中西の二人とも力があるし、いいバッターだった。日本の投手の目だったところはカーブのコントロールがきわめていいことだった。キップはナックルやチェンジ・オブ・ペースでよく投げたがわたしは彼を今春のキャンプとハワイで見ただけで、この日でなんと三度目だ。これからもどんどん投げさせてよく観察する」

豊田選手「一回の本塁打は真中の速球でやや遅れ気味だったのではないかしら」

中西選手「「ローバックから奪った本塁打は真中高めの球だった。2ストライクだから山をはって待っていた。ニューカムはブルペンではものすごく速かったがプレートに立つと特別速いとは思えなかった。球筋がきれいなんだ」

川上選手「ニューカムはカーブをあまり投げずシュートと速球を主に投げていた。日本の投手よりやや速いという程度だがスピードを苦にしないであれだけ打ったのはこちらの力が毎年大リーガーの来日によって向上しているからだろう。ニューカムの腰を引いた異様なフォームは右の打者にはやや脅威だったらしいが、わたしは左なので平気だった」
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武内和男

2017-10-21 22:23:36 | 日記
1958年

37 武内和男

投手 左投左打 5.75尺、18.5貫 26才 愛媛県 音楽
松山南高ー大映ー近鉄(33年) 合宿

左投手特有のシュートとカーブには見るべき球威を持っているが、体力がなくまだ実績がない。
第一線にはまだ鍛えなければならない。
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大津守

2017-10-21 21:54:30 | 日記
1955年

西鉄大津は大きく割れるカーブと切れのよいシュート、それに低めをえぐる快速球をビシビシときめ近鉄打線を寄せつけず二塁を踏ませたのはただ一度だけという快投をみせ、ついに無安打、無得点試合を完成した。この夜大洋の投球数は百十一、与えた四球四、奪った三振八、内野飛球四、外飛六、内野ゴロ七、犠打一という完全なものだった。大津の好投に応えた西鉄は三回仰木の左飛が電光二塁打となって先取点をあげ四回には大下の簡単な一ゴロをあとにそらした武智の凡失から中谷が左翼線を破ってなんなく追加点を加え、七階には豊田の走者一掃の二塁打と中西の久々にみせた左翼場外への大ホーマーで試合を決定づけた。

大津投手「今夜はシュートと直球、それにカーブをおりこんで近鉄のタイミングをはずしたのがよかったようだ。五回ぐらいから無安打ということを意識してボールが多くなったが、たしかに今夜は調子もよく、ついていた」

1958年

西鉄は最終回一死二塁で一打同点の好機をつかんだが冷静な大津に後続を断たれてついにシャット・アウトされた。安打、残塁とも3という文句なしの完敗ぶりだった。これより前五回加藤の左翼本塁打に近鉄が1点を先行するとその裏西鉄は河野がすかさず遊撃右を抜く安打をしたがつづく仰木との間に行ったヒット・エンド・ランは仰木の一撃が鋭い当たりの遊撃ライナーとなって一瞬のうちに併殺につぶされた。西鉄が反撃に出ようとしたとたんだっただけに仰木の一打は勝負の分かれ目となった。大津はカーブこそよく決まらなかったが丹念にコーナーをつくスライダーとシンカーがすばらしくよく西鉄の強打線をほとんど内野ゴロに終わらせた。その投球にはかなりのスピードがありしかもよく低めにコントロールされたのが好投の因となった。見事なカムバックぶりであった。
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大津守

2017-10-21 20:19:35 | 日記
1958年

近鉄の大津投手は、今シーズン西鉄から近鉄へとトレードされたのだが、その大津投手が四月九日、四月二十日と二回にわたって西鉄を破る殊勲を樹てた。まず四月九日の二回戦は、河村投手と対戦したのだが、大津投手は散発の三安打に封じこの強打チームをゼロ負せしめた。つづく二十日は、四回戦であったが、西村ー島原のリレーでくる西鉄と対して、六安打で1点を失ったのみ、2対1で快勝した。今シーズン西鉄は九勝して三敗(四月二十三日)だが、そのうち二敗が、この大津投手というのだからライオン狩りの大津という異名がつきだしたのも、むべなるかなである。今シーズンの大津投手はキャンプを訪れた記者の報告によると、近鉄の黒馬だった。つまり武智、伊藤、というエース級の投手が、昨年ぐらいに活躍すれば、大津は十勝はするだろう、そうなると相当に波乱を呼ぼうというのだ。大津投手はペナント・レース開始以来、実によく頑張って、まず二勝をあげ、近鉄投手陣の黒馬どころか、主役として活躍をつづけている。大津投手のピッチングは、いわゆるクロスファイアーでもある。三塁側のプレートを踏んで内角一杯のシンカーのような球(小さく落ちる?)一塁側に踏みかえて外角をあざやかによぎるカーブと速球で、打者の打ち気を巧みに誘い込んでいる。西鉄のバッターにとってみれば、大津は、七年間も同じチームにいたので、急に昨年の同僚が矢面に立って投げてくると、気分的に多少は同情的になっていたかも知れぬが、それにしても、球を徹底的に低目に集めて成功したピッチングは天晴れだった。「西鉄時代には二十勝をマークしたこともある好投手なのだから、今シーズンは大いにやってくれるものと期待している」とキャンプで加藤監督がいっていたが、まさかこれほどやるとは本人でも思っていなかったそうだ。それにしても皮肉なのはトレードで、これから大津がどのくらいまで勝星をかさねるか興味深い。
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バンサイド

2017-10-21 19:14:53 | 日記
1964年

バンサイドが投げ、安藤がよく打った、この試合のバンサイドはチェンジアップでカーブを有効に使いながら六回まで南海打線を寄せつけなかった。七回森下に本塁打されてちょっとおかしくなったが、阪神の苦しいローテーションのなかで好投、貴重な勝利に結びつけた。バンサイドは「先発は試合前にいわれた。しかしいつでも登板出来るコンディションだけは整えていた。きょうは速球とカーブがよかった。森下に本塁打されたのはスクリューボール。南海打線では広瀬、野村、ハドリ、ローガンをマークした」という。
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日下正勝

2017-10-21 18:50:39 | 日記
1975年

華やかなプロ野球から、ことしも四十五人のコーチ、選手が静かに身を引いた。しかし、就職先も決まらないまま年を越すベテラン選手など、不況の風は失業者にひときわ冷たい。大洋の日下正勝さん(31)もその一人。妻と長男(四つ)長女(一つ)の四人家族。「今季は一度も一軍にあがることができなかった。あと一年やっても先が見えている」と退団を申し出たのが十一月末。球団も別に引き止めなかった。三十六年、東北高二年のときに夏の甲子園に出場。巧打を買われて卒業と同時に大洋に入団。三年間は守備、代走で数試合に出ただけ。四年目に代打として初めて打席に立った。この年は11打数で3安打。「これから」と思った矢先、太り過ぎて足に肉離れ。それからはケガとの闘いだった。一軍を行ったり来たりし、十三年間のプロ生活で残した戦績は435打数94安打、本塁打は2本。しかし、再就職のアテは何もなかった。とりあえずアルバイトニュースで見つけた築地の卸商に、一時間五百円で雇われた。午前六時から正午まで、野菜を積んだ荷車を運ぶ。「野球をやっていたときには考えれないつらい生活だ。でも野球をのぞいたら力仕事しか残らない」と別に落胆している様子はない。「実力があればあるだけの金をとれる」球界とはいえ、いわば一文無しで放りだされた彼の口から、うらみがましい声は最後まで聞かれなかった。西田(中日)宮崎(阪神)鬼頭、森中(大洋)伊藤、三浦(太平洋)東条、土屋(ロッテ)大塚(南海)らも整理された三十代組だ。森中はテレビ解説者。三浦はスカウトへとこれまでの経験を生かすが、あとは商店、スナック経営と野球とは全く別の人生を歩く。若手では野球人生とすっかり縁を切って(アマチュア選手として再登録は不能)大学進学を目指すのが目立つ。尾藤(20)=阪神、今増(19)=阪急、恒村(20)西村(21)=巨人=らで、来年の受験を控え辞書と首っぴきだ。また第二のジャンボ尾崎を目ざして氏家(中日)中村(巨人)阪口(太平洋)らがゴルファーに転身、特訓中だ。東条(ロッテ)竹口(日本ハム)らが他球団のテストを希望しているが、残りの約十五人は未定といった状況になっている。
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ニューカム

2017-10-21 18:14:53 | 日記
1962年

ことし最後の公式戦だけあって中日のサービスは満点。ニュークの先発を前もって発表、外野席を無料開放したためスタンドは一万五千の入り。巨漢ニュークの豪快なピッチングにファンは大喜びだった。四回を投げてバトンを水谷に渡したニュークは「一年も投手をやらなかったのでコントロールに苦しんだ。カーブばかり投げたが高かったり低かったりで非常にまずいピッチングだった。佐々木吉に打たれたのは速球だが、一番いいコースにはいってしまった」と語っていた。ニュークはドビーと連れだって十三日帰国の予定。

中日は最終戦のサービスとして元大リーグの名投手ニューク(ドン・ニューカム)を先発させた。四回投げて六十六球。スリークォーターからの投球は一見重そうに見えるが、スピードは思ったほどない。二回、二つの四球と金光安打の二死満塁で佐々木吉に第一球内角高目を左翼線へきれいにうたれて二失点。ニュークは「一年間マウンドを踏んでいないので」と両手を広げ肩をすぼめていた。
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大庭清

2017-10-21 17:58:13 | 日記
1962年

71 大庭清 投手 右投右打 180cm、74kg、昭18年5月14日
佐世保北ー西鉄(37年) 合宿

第二の稲尾発掘の一環として、西鉄が地元から獲得した新人。当分は二軍での練習が主になるだろう。元高橋ユニオンズの投手だった兄宏氏にプロ入りを反対されたが、強引に西鉄入りした意地がある。
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藪上敏夫

2017-10-21 17:51:05 | 日記
1969年(高校時代)

向陽は右の本格派藪上投手を中心とする守りのチーム。

チームの浮沈をになう右腕・藪上は順調に仕上がっている。重い速球、鋭いシュートはいつでも試合OKのかまえ。難をいえば外角球のコントロールがややあまい。1㍍78、75㌔、スタミナも十分、外角低目に持前の剛球を決めることができればオニに金棒だ。

大会第一球を投じるのは三重の上西か、向陽の藪上か。ともに右腕本格派の速球投手。開幕をかざるにふさわしい。藪上が重い剛球を駆使すれば、上西のスピードは藪上のそれをしのぐ。二人とも簡単に打ちくずせる投手ではない。だが開会式直後の試合は、実力以外の要素が作用するもの。どちらが早く重苦しいふんいきから解き放たれるかで、序盤戦の展開が違ってこよう。
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藪上敏夫

2017-10-21 17:40:25 | 日記
1970年

ローテーション入りが期待される南海の新人藪上(新日鉄広畑)が先発して四回を無安打に押える好投をした。一回武上を3球三振に打ちとるなど、ストレート、スライダーを内外角に投げ分ける配球は新人離れしている。

南海の新人藪上(新日鉄広畑)が三度目の先発で8イニング投げた。五回二死後、菱川、江島にカウント1-2から高めのスライダーを連続本塁打されたほかは、二塁を踏ませなかった。迫力はないが、コントロールがいいので、安定している。カーブが低めに決まるようになれば、先発要員にはいれよう。

南海のルーキー藪上(新日鉄広畑)がよく投げた。六日の広島戦についで二度目の登板だったが、外角へのカーブを決めだまに四回まで投げてノーヒットに押えた。あまりスピードはなかったが、ピッチングがうまく、度胸があるのでもう少し投球に幅が出てくると使えそうだ。

南海の新人藪上(新日鉄広畑)の株がまた上がった。オープン戦二度目の登板で4イニングをノーヒットのピッチング。きわどいタマをボールと判定されて、何度か不服そうな顔をしたが、「きょうのアンパイア(岡田主審)は判定がからい。でも、どちらにでもとれるタマだから・・・」と審判に遠慮?するあたり、いかにも新人らしい。
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