1984年
南海の10代トリオの活躍が話題になっているが、負けてはならじと、14日のロッテ戦(西宮)で先発に大抜てきされたのがルーキー小林敦だ。社会人出身(リッカー)とあって、10代というわけにはいかないが、一軍最年少の22歳。若タカ、ショック?でチャンスが早くやってきたものだ。エンジンのかかり方が遅い方で、そのため「ブルペンで多めにほうらした」(上田監督)という配慮が実り、立ち上がり連続三振の上々のスタート。4回まで1安打、5回二死から四球を出し、ボークを演じたあげくタイムリーを浴びるなど、若さも暴露したが、1失点で勝利投手の権利を確保して山沖にバトンタッチ。その山沖が乱れて待望の白星はならなかったが、「よう投げた。あれぐらいやってくれるなら、これからもドンドン使っていくよ」とおホメの言葉を頂いてニッコリ。「初回は足がふるえましたけど、2回以降は何とか。まだまだこれからです」(小林敦) ベテランぞろいの勇者投手陣に、やっと若きヒーローが誕生した。
ことしドラフト2位でリッカーから入団した小林敦(22歳)がその男。5月28日の日本ハム戦(西宮)でプロ入り二度目の先発。打線のすばやい援護射撃にも恵まれて、身上の剛速球をビシビシ。「どこまでもつか」という周囲の心配をよそに、とうとう9回を投げ切り、プロ入り初勝利を完封で飾ってしまった。その小林敦、試合後の談話がまた大物の風格だった。「ボクなんかが完封したら野球界は滅亡するんじゃないですか」とケロり。「ブラントに投げた球(8回)はド真ん中。あれは打たない方が悪い」と相手をこきおろす始末。リッカー時代は、中西(阪神)の控え。知名度でも雲泥の差があったが、プロ1勝で球道を抜いた。「1年生にはどこのだれにも負けたくない」の負けん気と、1日8㌔のランニングを欠かさぬ努力、大物小林敦の前途は洋々だ。めざせ新人王!
期待のルーキー小林敦、原因不明の右肩痛でドッキリ!投手回転が苦しくなる夏場。一本立ちの期待がかかっていた小林敦が、突然右肩をはらして大騒ぎ。6日の日本ハム戦の先発予定が、急きょ変更されたのだ。「前日までブルペンでビュンビュンほうってたんだ。それが次の日になっておかしいといってきた。なんでやわからん。それにしてもトロいな」と上田監督もおカンムリ。ナゾの右肩痛というわけだが、後日、本人が明らかにした原因は、なんとハリ治療だった。というから不思議な話。その真相はー。四度目の先発に万全を期そうと、前夜初めてハリ治療を受けた。「生まれて初めてなんですよ。どんなものかと思って、みんなやってますからね。すると次の日に肩がパーッとふくれあがってきて、自分でもびっくりしました」張り切るのはいいけれど、慣れぬことはしない方がいいみたい。「ハリでハレたなんて、だれも信じてくれない。階段から落ちたんだろうとみんなにいわれて・・・。でも反省してます。ハイ」とシュン。ハレは2日でとれて10日から無事投球練習も再開。なんにしても重症でなくてよかったね。ホント。
「野球より走る方がゼニになる」と、カール・ルイスのようなことをいっているのが小林敦美投手。本戦の方は、ことしわずか1勝で、アップは80万円どまりだったが、12日に入るや、走りに走って商品かせぎに大変身。まず1日、名古屋・名城公園で行なわれた12球団対抗リレーマラソン。勇者5人衆は日本ハムに敗れたが、アンカーをつとめた小林敦は、5分43秒で区間賞の「4万円相当の皮製品」を獲得。翌2日、横浜球場で行なわれたプロ野球運動会では、400㍍と1500㍍に出場し、ともに優勝をかっさらって見事、努力賞に輝いた。「いつも練習で走ってますけど、走って賞品をもらえるなんて最高」と勇者のマラソンマンはニッコリ。来年はボールの方でも笑ってほしいネ。
速球、変化球とも水準以上の即戦力投手。阪急はことしのドラフトで、社会人または大学生の本格派投手獲得を第一にかかげていたが、1位指名した高野を抽選負け、野中を指名したため、「高野に匹敵する大型投手を」(藤井編成部長)と、小林を指名した。小林は阪神が1位指名した中西と並ぶリッカーのエース。バネのある体をいかした投法で、速球をビシビシ決める。「来季、すぐに一軍入りして活躍できる可能性が高い」と、上田監督は大きな期待を寄せている。