1990年
台湾ナショナルチームのエースだった郭建成は、ヒジの故障が治るかがカギ。150㌔近い速球の復活を目指すが、もう一人大リーガー投手の獲得も計画されており、外人三人制が敷かれる見込み。
台湾ナショナル・チームのエース・郭建成投手が、晴れてヤクルトの一員となった。1月10日、現地へ飛んだ根来ファームディレクターと家族をまじえ交渉。契約金2500万円。年棒480万円で合意に達しました。第三の外人としての扱いだが、「一日も早く一軍で投げたい。他の台湾プレーヤーに負けない働きをしたいですね」と力強い第一声。スワローズにも、いよいよ台湾パワー進出だ。
1991年
アメリカからやって来た助っ人なら戸惑いの梅雨の季節も、台湾から来た郭にはへっちゃらだ。というのは、台湾にも日本の梅雨に似た雨季が、それも4月から6月まで3カ月間もあるからだ。「だから別に気にならないよ。去年だって、何てことなかったもの」むし暑い日本のこの季節も郭にしてみれば、台湾と比べて2か月間も短いだけに、まだましなのだ。「もともと、生モノはほとんど食べないよ。まあ、たまに刺し身ぐらいかな。それに向こうの夏の方がもっと暑い。台湾で水ばかり飲んでいたんじゃ、汗がたくさん出て野球が出来ないから、余分に水分をとらないことには慣れているね」と、サラッといってのける。そう、郭にとって梅雨など苦にならないのだ。ただ一つ、気にかかる点がある。それは、来日1年目の昨年のこの時期に、逆に台湾の雨季を思い出したことから重症のホームシックにかかり、成績もこの期間だけ落ち込んでしまったことだ。来日直後だったから五月病のようなものだったかもしれないが、郭自身は「いつもは練習が大変で、台湾の家族や友達のことを考えている暇はないね。それに天気がよければ、近くに住む台湾の友達と出かけることもできるよ。でも雨の日が続くと、部屋にずっといなきゃならない。ついつい、いろんなこと考えちゃうね」とカタコトの日本語で話すが、その日はちょっぴり寂しそうだ。祖国のプロ野球には目もくれず、異国の球団に飛び込んだ男気のある郭だが、孤独感だけはどうにもならないようだ。もっとも、原因がはっきりしている2年目の梅雨シーズン、同じ過ちを繰り返すようなことはしない。「去年の今頃よりずい分、日本語も喋れるようになったよ。それにチームの仲間も親切だし、気分転換もできるでしょう」第三の外人を打破して、一軍切符をつかむためには、梅雨だの、ホームシックだのとは、いってられないのだ。5月下旬にはバニスターとマーフィーの故障で二度目の一軍昇格(昨年は登板機会なし)を果たした。結果は4試合に登板しただけで、再びファームに逆戻りしてしまったが、郭自身はある程度の感触はつかんでいる。「ボクは変化球が多いので、投球の組み立てを覚えられないように、注意して投げた。ヤングやアレン(ともに広島)、落合(中日)といった本当の一軍の選手を、思い通りのピッチングで抑えることができたのは、収穫だったよ」郭泰源、郭源治に続く第三の郭は、まだまだ修行の身だが、この一軍初登板で自信を深めたことは確かだ。バニスターに代わる新外人、ロックフォード投手、それほど大物の感はないようだし、梅雨さえうまく乗り切れば、夏頃にも、一軍に戻ってきてくれそうだ。
1990年
後半戦に入り、ローテーション五本柱の一角に食い込んだが、好投しながら勝ち運に恵まれないツキのなさ。それでも来季に向けては、なかなかの好材料を提供している最近。それゆえ、ここに気になる情報がひとつ。今年春に発足した台湾プロ野球界が、この郭の奪還計画を密かに練っており、シーズン終了後にも、なんらかの動きがありそうだ。はっきりいって台湾球界も人材不足。猫の手も借りたい現状であり、日本球界で働く台湾選手は垂涎のマト。特に投手は貴重な存在なのである。「いまのところ、そういう話はないし、来年もヤクルトで投げる」とは郭の言葉だったが、再び第三の外人になろうものなら、信教の変化にも十分に考えられるかもしれない。