1992年
高岡商高出身の干場崇永投手(20)=氷見市柿谷出身、三菱重自名古屋=は「光栄に思っている。プロ入りはじっくり考えて決めたい」と慎重な口ぶりで入団は明言しなかったものの「どの球団でなければというこだわりは持っていない」と、プロ入りに前向きの姿勢を示した。干場投手は高岡商時代から速球派の右腕として活躍、甲子園でのマウンド経験こそないが、その素質は高校時代からプロ側から高い評価を受けていた。社会人入りしてからは都市対抗野球大会にも補強選手として出場、さらには一年目から全日本チーム入りもしている。百五十㌔を超える速球とカーブ、スライダー、フォークなどを持つ将来性豊かな素材に、今年は九球団から事前接触があった。愛知県大府市の寮で、ロッテの水谷スカウトから電話がかかり指名のあいさつを受けた干場投手は、「ロッテはきれいな球場を持つ球団という程度のイメージしかない」と印象を語り、「社会人で三年間もまれた経験はプロでも必ず生かされると思う。プロ入りすれば、速い球でぐいぐい押す息の長いピッチャーになりたい」と抱負を話した。高岡商の伊東与二監督も「ピッチャーが活躍できる場の多い球団だと思う。社会人でいろんな経験を積んで確実に成長している。いい球団に指名された」と教え子に期待を寄せた。干場投手は二十四日に三菱重自名古屋・伊藤秀次監督とともにロッテ側と会い、入団交渉に入る。