プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

山崎剛

2021-10-16 20:33:57 | 日記
1979年 

ドラフト外でPL学園・山崎剛投手(18)=1㍍80、76㌔、右投げ右打ち=の入団を四日内定した。PL学園では、四番手ぐらいの投手で公式戦の活躍はないが、長身を生かした上手投げの本格派で将来性が大きく期待されている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青山伍

2021-10-16 14:23:16 | 日記
1955年


東北のキリン児といわれる青山の名を聞いて、すでに久しい。秋田高に入学した当時から彼の名は中央球界で話題となっていた。一昨年夏の甲子園大会に奥羽代表として十六年ぶりに出場した秋田高、そのエースが青山で、予選に七試合完投(65回)失点10、被安打26、奪三振42という好成績をあげ、優勝の原動力となっている。このときは一回戦に優勝した松山商と対戦、バックの揺守から2-0と敗れたが玄人筋の間では空谷(中日)以上と評判された。農大にいた河合投手(現住友金属)によく似たフォームで、全身をよく使ってムリがなく、身体も柔らかそうだった。ストレートにはのびがあったし、ブレーキ鋭く内角にきれ込んでくるドロップにも威力があった。強いていえば体力が十分でないためか後半疲れが見えてきたことが欠点といえば欠点だが、まず申分ない投手であった。大会終了後まだ二年生の彼に大阪の某パ・リーグ球団が裏金に時計を買ってやったという話があるくらい彼の力量は高く評価されたのである。ところが一年後の昨夏の甲子園大会ではまったく期待に反した出来だった。がっかりしたスカウトは一人や二人でなかったはずである。前年のスムーズなフォームがすっかり崩れてしまっていた。バック・スウィングのさいヒジが早くのび、球の離れが早い。腰のバネを利かすことにこだわりすぎるのでステップの時に右足に力が乗りすぎ、このため腰の回転が悪く、球が高目高目と浮いてしまった。つまりバランスのとれないフォームになってしまったわけだ。そこへもってきてムキになって投げたため、無名の三原高に十本のヒットを集中されて完敗してしまった。山谷秋田高監督(法大OB)は「ストライク・ゾーンの高低がボール二つも違っていたので手も足も出なかった」といっているが、打たれた原因はやはりフォームの改造にある私は青山に大きな期待をもっていたので技術面はもちろん精神面も見てやろうと望遠鏡でピッチング中の彼を凝視していたが、そのおかげで大きな発見をした。彼は投手として一番大事なことである「ミットから目を離すな」という鉄則を忘れ、キョロキョロして落着きがない。そのうえ観衆を意識したスタンド・プレー的な動作が見受けられた。このことから想像しても彼には精神面に欠点があるようだ。このように退歩はしたが、身体が出来てきたので一昨年と違ってスタミナがつき、東北人にしてはめずらしく柔軟性がある体格で野球選手としては理想的だ。球質も重いし、シュートする球のきれも十分。ドロップも大きいからフォームを直せば大成する素質は十分にあると思う。心機一転、もとのフォームにもどって練習すれば久しぶりに東北出身の名投手が誕生することと私は期待している。


プロ入りの動機 大学(立大)進学も考えましたが農家の次男に生まれた私はまず自活していかねばならないのでプロ入りしました大映を選んだのは郷里秋田の先輩滝田さんがいるからです。


まず勉強したいこと 第一にも球速をつけること。そのため投球のときの体重移動を研究したり、ナワ飛びを徹底的にして腹筋を強くするつもりです。昨年の甲子園大会では左手親指にできた指ダコが痛んで四球を出しすぎ自滅しましたが、コントロールには自信があるから右打者の内角低目をつくドロップのきれをよくする工夫をしていきます。


目標とする選手 大映秋山武内両左投手と毎日の荒巻さん。とくに荒巻投手のドロップの鋭さには敬服します。


趣味 乗馬(馬術大会に出たことがあります)スケート


五尺八寸五分、二十貫、左投左打、十八歳、背番37。
秋田市南通り1丁目石川健一方。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡辺政仁

2021-10-16 14:00:23 | 日記
1985年 

エース渡辺は左腕の本格派。重い速球は超高校級だがやや安定感に欠ける。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

滝道章

2021-10-16 12:17:10 | 日記
1958年 

戦前、忘れられぬ捕手であったハリスは、ピンチになると、キャッチャー・ボックスで、モーモタロサン。モーモタロサン。と、たどたどしい日本語で歌をうたってバッターのド肝を抜いたそうだ。阪神の老巧徳網捕手も、若いバッターが出て来ると、一曲聞かせましょうかと囁いて、渋いノドで御得意の天竜下れば…をうなって打者を討ち取ったことがしばしばある。あのエキサイトした場面でこうしたかけひきがあろうとは想像も出来ないところだが、捕手がしゃがんだまま祈るようにミットをさし出して構えるポーズを見ると御苦労さんですな、と呟いてしまうものだ。大阪タイガースの二軍にいる滝道章捕手は山梨県身延高校の出身である。ノンプロ立川AIOにいたが、徳網捕手の紹介で入団した。ひげが濃い。アジア大会に出たら、インドの選手と間違えられる程、雄大な不精ひげをよくはやしている。見るからに強そうだ。だが、目はやさしく澄んでいる。滝選手はクリスチャンである。ユニフォームの下には、銀のくさりに、マリア像のメダルが、いつも汗に濡れている。バッター・ボックスに入るときは、誰も気づかれないようにそっと、マリアの像に、さわってみる。神は下積みという苦しみをあたえて下さるが、同時に、努力をするものにはいつか、栄光という幸せを与えて下さるのを信じているからだ。二軍戦になって、マスクをかぶる。投手のコントロールが一寸乱れかけると、彼は神に祈る。そして低く呟くように歌い出す。もろびと、こぞりて、うたえまつれ 久しく待ちにし主は来ませリ とこやみの空をてらしたつれ ストライク。球審の拳が高くあがると彼は、神の賜物をいただくようにミットをさし出す。頬っぺたを赤く染める。彼は、また低く誘い出す。讃美歌のメロディーに銀のくさりが光っている。滝捕手が、先輩山本や石垣を追い抜いて、一軍に昇格する日が来たら、さぞ他球団の強打者連中は面喰うことだろう。だが巨人ー阪神戦にでもなれば、エンディ・宮本などは、滝と一緒に歌い出して豪快なホームランをかっとばすかも知れない。もろびと、こぞりて、たたえまつらんというコーラスのような拍手がスタンドをつつむ光景を想像するだけで愉しい。果たして、滝捕手が出場する巨人ー阪神戦がやって来るかどうか、これこそ神のみぞ知ることだ。今日も滝は二軍戦でマスクをかぶる。そして低く讃美歌のメロディを口ずさむ。滝に栄光の幸せはいつ訪れるのか…。滝よ頑張れ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

富永章敬

2021-10-16 12:00:22 | 日記
1990年 

エース富永は速球を武器にぐいぐい押すタイプ。コントロールにまだ課題が残り、投球が単調になる傾向もある。

 中日は愛知県立蟹江高校の富永章敬投手(18)=183㌢、78㌔、右投げ右打ち=をドラフト外で獲得し二十六日、入団発表した。富永は140キロの速球が武器の本格派。ことしは春季県大会でベスト8まで進んだ。入団発表には、伊藤代表と富永本人、父親の弘さん(46)が出席。伊藤代表は「腕の振りが非常に良く、将来が楽しみ。うまくいけば三年くらいの間に、戦力として育ってくれると思う」と将来を強調した。今秋の正式入団第一号となった富永は「ドラフト外入団にこだわりはありません。下半身を鍛えて、精いっぱい頑張りたい。今中先輩のような腕の振りのいい投手になるのが目標」とやや緊張した表情で抱負を語った。契約金千五百万円、年棒三百六十万円(いずれも推定)。背番号は未定。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奥田和男

2021-10-16 11:46:44 | 日記
1971年 

中日が先のドラフト会議で、二位に指名した地元電電東海の奥田和男投手(20)=右投げ右打ち、1㍍84、80㌔=の入団が二十日決定した。担当の山崎スカウトは同日午後二時、三重県一志郡一志町高野の同選手宅で母親照子さん(44)と本人に会見し、約一時間ののち快諾を得たもので、同選手はすでに会社側の了解を取ってあり、二十一日正式に退社届を提出することになっている。入団発表は二十二日午後四時から名古屋市中区栄の中日ビル内球団事務所で行われる。背番号は38。

 話し合いは実になごやかだった。同スカウトがさる十一月三十日に条件提示して以来、決定まで二十日間もかかったというのに、とてもそんなふん囲気ではなかった。遅れた理由について奥田投手は「一生のことだし、じっくり考えさせてもらった」と語ったが、電電東海の伊藤監督は「いい素質は持っているが、いますぐプロ入りするのはどうか。一、二年先でもおそくない」と話していた。母親照子さんは「最後は本人の意思しだいですが、おとなしい子ですのできびしいプロの世界でやれるかどうか心配です」と正直なところ余り乗り気ではなかったようだ。指名されてからというもの奥田投手自身は「プロでやって見たい」という気持ちを固めてはいたものの、まだ二十歳の若さ。こうしたまわりの声に気持ちがグラついたのもムリはない。だが、この日は「いったん中日にはいると決めた以上、どんなにつらくてもがんばり、一日も早く一軍のマウンドを踏めるように努力します」とすがすがしい表情で、口ぶりもキッパリ。性格は非常に明るく、母親照子さんは「私が楽天家なので、子供たちも自然そうなったんでしょうね」と笑う。父親に生後六か月のとき死別したが、兄正さん(23)=新日鉄名古屋勤務=の兄弟は賢夫人照子さんの愛情一つで実にのびのびと成長した。小学校六年のとき、健康優良児の表彰を受けた。小さいころから医者にかかるような病気は一度もしたことがないという。それにいまもってムシ歯が一本もないもの自慢のタネだ。どんなタイプの投手になりたいかーの質問に「真っ向から投げ込む投手。たとえば右なら平松さん(大洋)、左なら江夏さん(阪神)のような…」と目を輝かせた。中日が奥田に目をつけたのは、ここ一、二年の成長度を買ったからだ。山崎スカウトは「すぐ使えるとは思えない。けん制がまずいし、タマがみんな高めに浮く。とにかくまだ課題は多い。でも、このからだとスピードは魅力です。それに社会人として年を追ってよくなっていたし、鍛えたらきっとモノになる」と期待している。一年先輩の堂上投手(1㍍83、83㌔、電電北陸)とは顔なじみで「堂上君には負けたくない、とにかく力いっぱいやります」と早くもライバル意識をむき出しにしていた。

 電電東海のエース奥田の入団が決まった。先に入団した藤沢と同様に将来性を買われたものだが、1㍍84の長身はなんといっても魅力がある。右の本格派で、ノンプロ時代のピッチングはどちらかといえばタマが高めに浮き制球力に難があった。これは下半身の不安定からくる長身投手の共通の欠点だが、経験の浅さにも原因している。しかし年々力をつけてきているので、それを買われたと思う。球種もいまのところストレートとカーブの二種類だけだが、なまじいろいろなタマを投げるよりも、これから新しいタマを覚えるにはむしろ都合がいい。それに奥田にとって力強いのは一年先輩に堂上(電電北陸)がいることだ。おそらくライバル意識を燃やすだろうから、いい意味のせり合いはお互いに大きなプラスになるだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする