プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

内司正弘

2021-10-22 20:43:15 | 日記
1953年 

阪神は軽く国鉄の投手陣を打ちこみ連勝、プロ・チームとして巨人についで千勝を記録した。阪神は一回2四球、敵失と渡辺の二塁打で先行する鮮やかな速攻を見せた。田所は三回から外角への速球で阪神を散発安打におさえている。不調ではなく一回の単調なピッチングが老巧な阪神打線につけこまれた形だった。阪神は一回金田が四球に出て二盗に失敗したが、白坂も四球、与儀の遊ゴロは大久保がはじいて一、二塁、ここで渡辺が0-2から内角球を右中間二塁打して二者を還し、そのあと小島が左前タイムリーして三点を奪った。この三点を守って内司(薩南高)は徳網の好リードとバックの堅守に助けられ二、三、四回先頭打者に安打されたが後続を断って無得点に封じた。内司は低目のシュートとドロップでよく投げた。阪神は八回2四球を足場に小島徳網、吉田の長短打で四点を加えた。内司に四安打に封じられた国鉄の攻撃力は不甲斐なかった。
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八浪彬雄

2021-10-22 20:02:07 | 日記
1953年 

巨人軍は廿日八浪彬雄投手(18)と契約した。熊本工出身で西鉄の八浪外野手の弟。左投左打、五尺七寸、十八貫。 

1954年 

二十日の明石キャンプでジュニア・ジャイアンツの投手陣を一時間半にわたってコーチしたオドゥール監督は「こんなすばらしいルーキー投手がいたのか、ぜひアメリカへ連れて帰って育てたい」と言い出した。これは昨年伊東キャンプに川上選手の推薦で入団した八浪彬雄(19)(熊本工)だ。オドウール氏はボビー・ブラウン氏を呼んで「このナチュラルにアウト・シュートするヤツナミのくせ球を打てるか」と大したほめよう。八浪は突然のことにハトが豆鉄砲をくらったような顔つき。オドウール監督はこの大発見にいささかノボセ、ベンチに自分のゴルフグツを置き忘れて行った。
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河崎貞之

2021-10-22 19:55:14 | 日記
1961年 

ことしの福工はよくまとまっている。県南代表のベスト4には文句なく勝ち残るだろう。投手陣は県南随一といわれる河崎が健在。河崎は下手投げからカーブ、シュートを鋭く投げる。走者が出るとピッチングがややにぶるが、内角球は打っても飛ばないほどの球質だ。
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宮本尊義

2021-10-22 19:50:17 | 日記
1975年 

本格派の右腕・宮本の好・不調がチームの勝敗を決める。ナインは宮本に頼りっきり。縦に割れる大きなカーブが主な武器で、昨年秋の九州大会県予選では、県下でトップクラスの実力を持つ谷崎(津久見)に投げ勝って自信をつけた。ただ精神的にややムラっ気な面がピッチングに出ると不安で、立ち上がりや七、八回の終盤に打ち込まれるケースが多い。
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