1953年
阪神は軽く国鉄の投手陣を打ちこみ連勝、プロ・チームとして巨人についで千勝を記録した。阪神は一回2四球、敵失と渡辺の二塁打で先行する鮮やかな速攻を見せた。田所は三回から外角への速球で阪神を散発安打におさえている。不調ではなく一回の単調なピッチングが老巧な阪神打線につけこまれた形だった。阪神は一回金田が四球に出て二盗に失敗したが、白坂も四球、与儀の遊ゴロは大久保がはじいて一、二塁、ここで渡辺が0-2から内角球を右中間二塁打して二者を還し、そのあと小島が左前タイムリーして三点を奪った。この三点を守って内司(薩南高)は徳網の好リードとバックの堅守に助けられ二、三、四回先頭打者に安打されたが後続を断って無得点に封じた。内司は低目のシュートとドロップでよく投げた。阪神は八回2四球を足場に小島徳網、吉田の長短打で四点を加えた。内司に四安打に封じられた国鉄の攻撃力は不甲斐なかった。