1954年
主戦大庭は球質が重く打者の胸元をえぐるシュートは威力がある。
いま一番好調の波に乗っている。四月以降十試合のチーム打率二割九分七厘。四番大庭は四十一打数十八安打、打率四割三分。一試合に十本もの安打が出るが、かんじんのタイムリーヒットが少ない。もう一押しというところ。投手大庭は十八貫の怪童。球質の重い剛球、インコーナーをつくシュートはかなり威力があるが打者にくせを知られると打たれ易い。彼は攻撃の中心でもあり山川部長はプロ野球選手として育てて行きたいといっている。
1955年
二日前に満十八歳の誕生日をむかえたばかり白面の新人大庭(佐世保北高)は公式戦初登場のプレーボール早早の三球目を別当にレフト・スタンドにたたきこまれた。そして二死後ルイスのかんたんな左飛を重いグラウンドに足をとられ栗木が失した不運重なったところで榎本本堂に連安打をこおむって思い出の初マウンドにしては痛い二点を背負って五回まで投げた。その間四回榎本にライト・スタンドに打ち込まれたが、球は重く、コントロールと度胸さえつけばどうにかやれそうだ。注目されている。
主戦大庭は球質が重く打者の胸元をえぐるシュートは威力がある。
いま一番好調の波に乗っている。四月以降十試合のチーム打率二割九分七厘。四番大庭は四十一打数十八安打、打率四割三分。一試合に十本もの安打が出るが、かんじんのタイムリーヒットが少ない。もう一押しというところ。投手大庭は十八貫の怪童。球質の重い剛球、インコーナーをつくシュートはかなり威力があるが打者にくせを知られると打たれ易い。彼は攻撃の中心でもあり山川部長はプロ野球選手として育てて行きたいといっている。
1955年
二日前に満十八歳の誕生日をむかえたばかり白面の新人大庭(佐世保北高)は公式戦初登場のプレーボール早早の三球目を別当にレフト・スタンドにたたきこまれた。そして二死後ルイスのかんたんな左飛を重いグラウンドに足をとられ栗木が失した不運重なったところで榎本本堂に連安打をこおむって思い出の初マウンドにしては痛い二点を背負って五回まで投げた。その間四回榎本にライト・スタンドに打ち込まれたが、球は重く、コントロールと度胸さえつけばどうにかやれそうだ。注目されている。