プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

森内勝巳

2021-10-23 12:07:53 | 日記
1954年 

広島野崎監督 これまでの二軍戦と異なりこんどの遠征の実戦で経験した選手の収穫はセオリー、ルールなどを含め広範囲にわたって大きかった。有望な投手陣で森内、管田で、森内は巨人、阪神にそれぞれ勝って自信をつけたが、わたくしが教えた落ちる球をうまく利用しており将来は非常に有望だ。
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奈部川勉

2021-10-23 10:12:59 | 日記
1986年 

エース奈部川の武器は、187㌢の長身から出る速球。ピンチにも冷静で、コントロール、スタミナとも抜群。
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市川達也

2021-10-23 10:09:52 | 日記
1983年 

市川は宇都宮市の古里中時代には県大会にも出場しなかった無名投手。「甲子園に行きたい」と宇学に進学したが、二年の春、秋と背番号をもらったもののベンチウオーマー。公式戦出場の記録は今年の春の2試合。2回戦の馬頭戦で2イニング、準々決勝の足工戦で9イニングと、ともに救援投手としてマウンドに立っただけ。三年間の記録は11イニングを投げて被安打4、奪三振3、与四球2、自責点0、失点0が残っている。ところが準々決勝の足工戦で関東三羽ガラスの一人である足工・小林宏明投手をお目当てに宮原球場を訪れたロッテの城之内スカウトの目にとまった。「下手投げであるが球に力がある」(城之内スカウト)最後の夏の大会は部員の不祥事で出場辞退したものの、九月ごろから宇学の先輩である飯塚ロッテコーチが窓口になり交渉開始。ドラフト会議の当日である二十二日に内定、二十七日に河内町中岡本の自宅で正式契約を結んだ。契約に立ち会ったのは父親の重夫さん(42)母親の光江さん(41)叔父の市川得三(38)さんと宇学野球部長の園部久市部長、球団側からは三宅スカウト部長。すでに何回かの交渉を重ねて内定もしており、午後二時から始まったこの日の交渉はスムーズに行われ、契約書を交わした。実業団の日通浦和、日立製作所から誘いがありながらも、東洋大に進学と決めていた市川だが、「小さいころからプロ野球は夢でした。二、三年下積みを覚悟して頑張ってみる。目標は阪急の山田さん」とキッパリ。また、光江さんも「プロの話を聞いた時は驚きでした。でも本人もプロで腕を磨きたいと言っているので、主人とともに快く賛成しました」と全面協力でプロ市川が誕生した。宇学からのプロ野球選手は柴原(高橋トンボ)高山(大洋)石田(ロッテ)飯塚(同)に続いて五人目。「プロは想像以上に厳しい。でも、進むからには一日も早く一軍のマウンドに立つよう頑張ってほしい」と園部部長。上野前監督も「まだ未完ですが鍛えればものになるということで球団が誘ってくれたのだから、ぜひ頑張ってもらわねば」と期待を寄せている。なお、市川は三宅スカウト部長から手渡された練習メニューによって、十二月二十六日まで自主練習。十二月二十七日から来年一月七日までは、千葉県で行われる特別練習に参加。そして「学校との行事の都合がつけば」(園部部長)一月十日から川崎球場で行われる自主トレ、二月一日からの鹿児島キャンプに参加することになっている。入団発表は十二月二十二日に東京で行われる。
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