1963年
阪急は十八日午後大阪梅田の航空ビル内でつぎの二選手の入団を発表した。
投手野呂瀬義昭(19)=1㍍74、70㌔、右投右打、大阪高ーノンプロPL教団、背番号未定、研修期間百試合。
内野手 大熊忠義(20)=1㍍75、75㌔、右投右打、浪商高ー近大二年中退、背番号未定、研修期間五十試合。
大熊選手は東映の尾崎とともに、三十六年浪商高の二塁手として春、夏の甲子園大会に出場、夏は優勝している。関西六大学ではことし春のリーグ戦で打率三割二分七厘(ベスト・テン七位)秋は三割七分五厘(二位)をマーク、三塁手としてベスト・ナインに選ばれている。野呂瀬投手は十月上旬からテスト生として練習に参加していた。速球が武器の本格派投手。
阪急は十八日午後大阪梅田の航空ビル内でつぎの二選手の入団を発表した。
投手野呂瀬義昭(19)=1㍍74、70㌔、右投右打、大阪高ーノンプロPL教団、背番号未定、研修期間百試合。
内野手 大熊忠義(20)=1㍍75、75㌔、右投右打、浪商高ー近大二年中退、背番号未定、研修期間五十試合。
大熊選手は東映の尾崎とともに、三十六年浪商高の二塁手として春、夏の甲子園大会に出場、夏は優勝している。関西六大学ではことし春のリーグ戦で打率三割二分七厘(ベスト・テン七位)秋は三割七分五厘(二位)をマーク、三塁手としてベスト・ナインに選ばれている。野呂瀬投手は十月上旬からテスト生として練習に参加していた。速球が武器の本格派投手。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます