プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

鳥坂九十九

2018-08-26 21:15:52 | 日記
1979年

新春一月六日。大安のこの日、藤井寺球場から歩いて十分ほどのところに一軒のお好み焼き屋が開店する。オープンの日には、巨人・長島監督、王選手らから届けられた開店祝いの花輪が店頭を飾る。屋号を「九十九(つくも)の店」という。近鉄ー巨人と七年間、ユニホームを着て、今年限りで引退した鳥坂投手。といってもよほどの野球狂でない限りわからないかもしれないが、近鉄時代、プロ野球選手の中で最も重い背番号99をつけていた鳥坂九十九投手といえば「あの選手か」と思い浮かべる人がいるだろう。その鳥坂が古巣、近鉄のフランチャイズ、藤井寺球場のそばで店を出す。十一月末、熱海で行なわれた巨人の納会の席で、この話を聞いた長島監督、王選手がその場で花輪を贈ることを約束した。友情の輪はさらに選手にまで広がって、河埜、淡口らが次々に「おれたちの名前が役に立つなら使ってくれ」と強力を申し出ている。「二年前、巨人へ入るとき、バッティング投手でもいい、ただ小さいときからあこがれていた長島監督や王さんといっしょのチームでやれるだけでうれしかった」いま鳥坂は連日、知り合いのお好み焼き屋に通って、慣れない手つきで包丁を握ってキャベツのきざみ方から勉強している。帰宅はいつも午前様だという。「夏に右ヒジを痛めたときに、今年でやめようと思ってました。そのヒジが包丁を使うときにまだ痛むんです。そんなとき、何もわからない商売の世界へ飛び込んだ辛さも感じます。でも、僕は巨人での二年間のバッティング投手の経験から、耐えることを学びました。それにくじけてしまっては長島監督や王さんらに申し訳ないです。友情を無にはしません」来年の三月、巨人がオープン戦で大阪に遠征したとき、90番はじめ、選手たちは「九十九の店」を訪れる。「その時までに店を軌道に乗せなきゃいけないですね」一介の元バッティング投手が、ONのバックアップ、ナインの友情に包まれて、第二の人生をスタートさせる。

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