1960年
阪急は近鉄に勝てば戦後はじめて開幕以来の六連勝となる。その夢を破ったのが竹下だ。この夜五打数四安打してベストテンのトップにおどりあがった。試合後、ぐるりとかこんだ報道陣に「とにかくバットがよく振れた。同点にしたのも外角のカーブだったが、決勝打も外角カーブ。安藤は知らない投手だから外角にヤマをはる以外に方法がなかった。延長戦までいったんだからぜひとも勝ちたかった」むろん、勝ちたいのは竹下だけではない。阪急戸倉監督は「あのバカ当り・・」といかにもくやしそうだった。この春近鉄が巨人から大友の移籍に成功して東京銀座のホテルで発表したとき、竹下の名刺が大友のあとについた。当時大北代表は「竹下などは一人で発表しても目立たないから・・・」といっていたが、たしかに巨人の竹下といっても知るファンは少なかった。巨人で三年間、昨年竹下が公式戦に出たのは三試合だけ。しかもバッター・ボックスに入ったのはたった一回。どちらかというとお天気屋で巨人でも「エラそうにしている」という評判があったくらいだ。それが「しかしウチではあんなのがいてかえって沈んだ空気が明るくなる」と近鉄では評判がいい。「まだ相手が彼の欠点を知らないし、また竹下も相手投手のこわさがわからない。問題はこれからだ」というのがネット裏評論家の意見だった。
阪急は近鉄に勝てば戦後はじめて開幕以来の六連勝となる。その夢を破ったのが竹下だ。この夜五打数四安打してベストテンのトップにおどりあがった。試合後、ぐるりとかこんだ報道陣に「とにかくバットがよく振れた。同点にしたのも外角のカーブだったが、決勝打も外角カーブ。安藤は知らない投手だから外角にヤマをはる以外に方法がなかった。延長戦までいったんだからぜひとも勝ちたかった」むろん、勝ちたいのは竹下だけではない。阪急戸倉監督は「あのバカ当り・・」といかにもくやしそうだった。この春近鉄が巨人から大友の移籍に成功して東京銀座のホテルで発表したとき、竹下の名刺が大友のあとについた。当時大北代表は「竹下などは一人で発表しても目立たないから・・・」といっていたが、たしかに巨人の竹下といっても知るファンは少なかった。巨人で三年間、昨年竹下が公式戦に出たのは三試合だけ。しかもバッター・ボックスに入ったのはたった一回。どちらかというとお天気屋で巨人でも「エラそうにしている」という評判があったくらいだ。それが「しかしウチではあんなのがいてかえって沈んだ空気が明るくなる」と近鉄では評判がいい。「まだ相手が彼の欠点を知らないし、また竹下も相手投手のこわさがわからない。問題はこれからだ」というのがネット裏評論家の意見だった。
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