プロ野球 OB投手資料ブログ

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田中和男

2016-10-15 11:07:45 | 日記
1960年

法大の田中和男一塁手(22)は東映から入団交渉を受けていたが、このほど東映入りを決意した。正式契約はリーグ戦が終ってから行われる。東映はすぐに使える選手、将来チームの中心となる選手という点から大学選手に重点をおいて補強にのり出した。そして第一業として慶大・渡海、法大・山本、山崎、立大・杉本と神宮の花形に交渉を進めたが、全部失敗したため第二業、大学の中堅選手に方針をきりかえ、田中、萩原(駒大)小池(専大)村木(慶大)岩上(立命大)といったところにねらいをつけた。こうして田中に交渉をしたのはちょうど彼がノンプロ松下電器の入社試験の翌日だった。田中は高校時代からプロにいきたい希望を持っていたが、春のシーズンの不振もあってプロをあきらめ熱心に入社をすすめてくれる松下電器にいくことをきめていた。大補強と意気ごんでいた東映も成功したのは萩原一人なので田中獲得に全力をそそぎ、砂川球団主任、井出スカウトが説得にあたった。ちょうどこのころから田中は調子を取りもどしてベストテンにはいった。にわかにあがった田中株に近鉄も驚き兄武智投手に「近鉄もとる用意がある」と伝えたが「兄弟で同じチームにはいると弟がついボクをたよるようになる。そうなってはお互いに不幸だ」という武智投手の考えから、近鉄はかんたんに落ちた。二十五日上京した武智投手は東映側と話し合った結果、松下電器の了解がついてから契約することを条件に話がまとまった。

田中選手の話「松下電器へ就職がほとんどきまっていたが、プロでやりたいという希望を持っていた。東映から話があったので兄とも相談してプロでやることにした。東映は在京球団というボクの希望にも合う。監督さんをはじめ野球部の関係者へは兄からボクの気持を伝えてプロ行きを了承してもらった。まだ松下電器の方へあいさつをしていないが正式な道をふんでおことわりする」

石原代表の話「田中君は岐阜商時代からほしい選手だと思っていた。積極的に交渉しはじめたのは八月の中旬ごろから。田中君もお兄さんも東映に好意をもっていてくださるのでまずウチにはいってくれると信じている。素質も十分ある人だしウチに来てくれたら活躍してくれると思っている」

田中和男一塁手略歴 岐阜商出身。高校では清沢(慶大)とコンビで投手兼一塁手。四番を打って村瀬、所(早大)丹羽(立大)などとともに打線の中心だった。31年春、夏の甲子園大会に出場していずれも準優勝、32年法大入学、一塁手専門になり、34年春からレギュラー。クリーン・アップを打つこともあるがややムラがあり、今シーズンは六番に定着。シーズン後半は、独特のたたきつけるようなバッティングで二割九分四厘をマークして打撃12位。田中四兄弟の末弟。(長兄・武智投手=近鉄、次兄・田中義雄投手=東映レーヨン、三兄、田中照雄投手=元近鉄、常盤炭鉱)1㍍76、71㌔、右投右打、経済学部四年。

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