プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

簾内政雄

2012-05-26 18:29:42 | 日記
東北人の粘り強さ
大活躍の簾内投手

日鉱50年目の宿願に一役

後藤監督が胴上げされると、日鉱のスタンドは一斉にワッショイ、ワッショイ」-三間社長も副社長もほとんど顔をそろえた会社幹部も、勝利の興奮にほおを紅潮させている。何しろ大正五年にチームが結成されてから苦節五十年にして初めてつかんだ栄光だから大変な騒ぎである。しかも社会人野球の大鵬といわれる日本石油を堂々と寄り切り、ナンバーワン投手平松をKOしての勝利だからなおさらだ。「全国大会に優勝したのは初めて。準決勝に進んだこともなかったんだから・・」と後藤監督がいうと、勝利の立役者・簾内投手も「四試合完投(うち三日間は連投)は初めて。それにホームランも生まれて初めてです」と顔をほころばせる。初めてずくめの輝かしい優勝だった。それにしても、社会人野球にはすばらしい新星があらわれたものだ。簾内といっぷう変わった名前の投手が出て来たのは三年前。当時からタマは速くてノーヒット・ノーランなどの快投をやってのけたこともあるが、ヒジを痛めたりしてパッとしなかった。ヒジの故障がなおった昨秋から、彼なりに自信というものをつかんできたようだ。身長175㌢、体重76㌔というめぐまれた身体から重みのあるストレートと大きな落差のドロップを武器に、この大会は四試合をひとりで完投、防御率0.75という快投だった。「相手が強い日石さんだから打たれてもともと」と楽な気持ちで投げたという。一昨年東京オリオンズからリストアップされたとき「プロでやるガラではない。いなか者は山の中にいればいい」と断ったという話がある。能代高時代に全国高校選手権に出場したが、東北人らしいぼくとつな選手だ。練習熱心で夜でも室内練習場で投げるほど。それに根性もチーム髄一といわれる。努力でかちとった初優勝といえるだろう。

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