1997年
春の全国大学選手権でのピッチングは圧巻だった。1回戦の佛教大戦では8回まで毎回の12三振を奪い、2安打完封。準決勝の亜大戦でも打線の援護が得られず敗戦投手になったものの、大学球界でもトップクラスの強力打線を4安打2失点(自責1)に抑え、関東学院に白坂ありを全国に印象づけた。横浜高時代から速球派左腕として注目されていた白坂だが、桧舞台での活躍はこれまでほとんどなかったと言える。3年の時に高橋光信(国際武道大)とバッテリーを組んで出場した春の選抜高校野球では初戦敗退。関東学院大入学後も勝ち星に恵まれず、「ラストイヤー」を満を持して臨んだ今春のリーグ戦でも打ち込まれたわけではなかったが、本来の豪快なピッチングが陰を潜めて2勝止まり。エースの座を後輩の高井に奪われた形になった。「春のリーグ戦でもそうだったんですけど、これまで抑え込んでやろう、三振を取ってやろうという気持ちが強すぎて、力んで自滅するパターンが多かったんですよ」力まなければ、自分のピッチングができる。春季リーグ戦の途中でそのことに気がつき、神奈川大学リーグの優勝をかけて戦った横浜商科大とのプレーオフあたりから徐々に自分のピッチングを取り戻すことができた。とはいえ、初めてマウンドに上がった時から持ち続けてきた三振へのこだわりを捨てたわけではなかった。「マウンドに立つからには三振を取りたいという気持ちはあります。たとえ完封しても、三振の数が少ないと納得できないというか。三振を取った瞬間の何とも言えない爽快感。ホント、あの瞬間、ピッチャーやってて良かったと思うんですよ」最大の武器はストレート。精悍(せいかん)な顔つきに似合わない?しなやかなフォームから繰り出されるストレートは、MAX145㌔。ゲームでも常時130㌔台後半を記録する。球種はチェンジアップ、カーブ、スライダー、フォーク。これらの変化球は「カウントを稼ぐためのボール」と白坂は言うが、ストレートが速いだけに、バッターにとっては打ちづらい。秋の目標はもちろん、リーグ戦優勝。その後に控える神宮大会でも、「いいピッチングをするだけでなく、確実に勝利をものにしたい」と目を輝かせる。そして、子供の頃からの憧れであるプロへー。「球団はこだわりません。声をかけていただければ、どこでも行きますよ。ただ、プロに入っても、三振を取れるピッチャーであり続けたいですね」精神面での成長でひと回りもふた回りも大きくなった白坂が、今後、どんなピッチングを見せてくれるか。秋の楽しみが、また一つ増えた。
1998年
星野監督に「こんな順位まで残っているなんてまさかと思った」という掘り出し物。140㌔の直球と大きく割れるカーブ、それに魔球のチェンジアップが武器。
1999年
小さな故障で泣かされたプロ元年、二軍での登板も2試合に止まった。145㌔の速球を持つ本格派左腕だけに、まずはケガのない1年を
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