1982年
「今日のようなピッチングでは、まだまだ」阪急・松本はすっかりたくましくなった投球で2つ目のセーブを稼ぎながら、謙虚なことば。7回一死一塁で宮田を救援。代打の田尾を投ゴロ併殺打。8回にはモッカをフォークボールで三振に取る余裕を見せ、9回の2死満塁も速球勝負で切り抜けた。「9回はボールが高くなった。もっと低めに決めないと」と反省の言葉も。高校(東洋大姫路時代)自分の控えだった宮本(亜大ーヤクルト)のプロ入りに刺激され、あいつだけには負けたくないと発奮する松本は今年こそやりそうだ。
「今日のようなピッチングでは、まだまだ」阪急・松本はすっかりたくましくなった投球で2つ目のセーブを稼ぎながら、謙虚なことば。7回一死一塁で宮田を救援。代打の田尾を投ゴロ併殺打。8回にはモッカをフォークボールで三振に取る余裕を見せ、9回の2死満塁も速球勝負で切り抜けた。「9回はボールが高くなった。もっと低めに決めないと」と反省の言葉も。高校(東洋大姫路時代)自分の控えだった宮本(亜大ーヤクルト)のプロ入りに刺激され、あいつだけには負けたくないと発奮する松本は今年こそやりそうだ。
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