1972年
大洋は十五日、鵜沢達雄投手の背番号を59からエース・ナンバーの18に変更することをきめた。大洋投手陣の救世主といわれ、十三日の対広島戦でプロ入りをあげた鵜沢は昨年は公式戦登板ゼロのプロ入り二年目、一躍新人王のダークホースに浮かびあがってきた注目の新鋭。「ストレートの速さなら日本一だろう」と首脳陣は大変な力の入れようだ。
なにも考えなくてもいい。捕手の伊藤は鵜沢がマウンドに立つとだまって手を振ればいい。ジャンケンのグー。ストレートのサインはグーで押し通せばいい。ストレートだとわかっていても、広島打線は打てなかった。「久しぶりに小気味のいい投手が出てきたな」と根本監督までがいう。広島の一、三回戦を通じて六イニング。奪三振は9だ。ストレートは一本もヒットを打たれていない。「堀内(巨人)よりも速い」と広島打線。堀内の高めのつり球を運んできたこの打線が、鵜沢の球にはついつい手が出る。それだけ速いということだろう。この快速球投手の出番で広島首脳陣の中でひともんちゃく起きたという。「廿九歳の少年があれだけ速い球を投げる。一年目は名前も聞かなかった投手が、なぜあれだけ成長するのか。われわれの指導方法も考え直さなければいかんかもしれん」鳴りもの入りで入団した佐伯は二軍戦でも打たれている。同じ十九歳だというのに・・。鵜沢は首脳陣の英才教育でここまできた。モヤシみたいなからだつきに特別食がつくられ、鉄アレイを持たされて馬力をつくってきた。「いいか、おまえの勝負は二年目だ。新人王をとってくれ」という願いが二軍の島田、稲川両ピッチング・コーチにこめられていた。月給は八万円だ。税金をとられると六万円ちょっと。球団支給の特別食がなかったら、とっくにネをあげていたところだ。合宿費と服装代をとられて、残るわずかの金で昨年、ステレオを買った。二十四万円もするため、もちろん月賦。遊びにいく金はない。クリフ・リチャードやダニエル・ピダルの歌を聞きながら、鵜沢はいつも思ったという。「来年になったらバリバリ投げて貯金通帳をつくるんだ」チャンスは意外に早くやってきた。広島第一戦が負けゲームで敗戦処理のデビュー。ツキまくったのは第三戦だ。5対5になったとき、最初の予想は佐藤元だった。ところがブルペンで九十球も投げている。平松は第二戦の予定外のリリーフで、この日は休養。山下は第一戦にKOされて気がめいっている。「エイッ、それなら鵜沢だ」と起用したところが、初勝利。もし、投手陣が足並みそろっていたら、鵜沢のデビューはもっともっとおそかったろう。バクチは大当たり。秋山コーチは「これから先発でどしどし使っていく」とほれ込んで、エース・ナンバーの18番を急きょ鵜沢に譲ることが決まった。「あいつのストレートにはかなわねえ」と平松がいう。「キャンプよりオープン戦、オープン戦より公式戦と、なんだか球がまた速くなってきたみたいです」と鵜沢が答える。「いまの江夏よりは速いだろう」というのが秋山コーチの結論だ。不安なコントロール、甘い変化球と課題はまだまだたくさん残っている。しかし、18番を手にしたことで、ひとつの望みはかなえられた。四畳半の部屋にどんと置かれたステレオも、いまは少し色あせてみえる。サイドボードの上にちょこんと乗っている一勝記念のウイニング・ボールがいまの宝物だ。「この記念のボールを二段いっぱいに並べたいですね。それなら新人王も間違いないでしょう」一段に八つはいる。すると16勝。球も速いが、いい心臓もしている。
大洋は十五日、鵜沢達雄投手の背番号を59からエース・ナンバーの18に変更することをきめた。大洋投手陣の救世主といわれ、十三日の対広島戦でプロ入りをあげた鵜沢は昨年は公式戦登板ゼロのプロ入り二年目、一躍新人王のダークホースに浮かびあがってきた注目の新鋭。「ストレートの速さなら日本一だろう」と首脳陣は大変な力の入れようだ。
なにも考えなくてもいい。捕手の伊藤は鵜沢がマウンドに立つとだまって手を振ればいい。ジャンケンのグー。ストレートのサインはグーで押し通せばいい。ストレートだとわかっていても、広島打線は打てなかった。「久しぶりに小気味のいい投手が出てきたな」と根本監督までがいう。広島の一、三回戦を通じて六イニング。奪三振は9だ。ストレートは一本もヒットを打たれていない。「堀内(巨人)よりも速い」と広島打線。堀内の高めのつり球を運んできたこの打線が、鵜沢の球にはついつい手が出る。それだけ速いということだろう。この快速球投手の出番で広島首脳陣の中でひともんちゃく起きたという。「廿九歳の少年があれだけ速い球を投げる。一年目は名前も聞かなかった投手が、なぜあれだけ成長するのか。われわれの指導方法も考え直さなければいかんかもしれん」鳴りもの入りで入団した佐伯は二軍戦でも打たれている。同じ十九歳だというのに・・。鵜沢は首脳陣の英才教育でここまできた。モヤシみたいなからだつきに特別食がつくられ、鉄アレイを持たされて馬力をつくってきた。「いいか、おまえの勝負は二年目だ。新人王をとってくれ」という願いが二軍の島田、稲川両ピッチング・コーチにこめられていた。月給は八万円だ。税金をとられると六万円ちょっと。球団支給の特別食がなかったら、とっくにネをあげていたところだ。合宿費と服装代をとられて、残るわずかの金で昨年、ステレオを買った。二十四万円もするため、もちろん月賦。遊びにいく金はない。クリフ・リチャードやダニエル・ピダルの歌を聞きながら、鵜沢はいつも思ったという。「来年になったらバリバリ投げて貯金通帳をつくるんだ」チャンスは意外に早くやってきた。広島第一戦が負けゲームで敗戦処理のデビュー。ツキまくったのは第三戦だ。5対5になったとき、最初の予想は佐藤元だった。ところがブルペンで九十球も投げている。平松は第二戦の予定外のリリーフで、この日は休養。山下は第一戦にKOされて気がめいっている。「エイッ、それなら鵜沢だ」と起用したところが、初勝利。もし、投手陣が足並みそろっていたら、鵜沢のデビューはもっともっとおそかったろう。バクチは大当たり。秋山コーチは「これから先発でどしどし使っていく」とほれ込んで、エース・ナンバーの18番を急きょ鵜沢に譲ることが決まった。「あいつのストレートにはかなわねえ」と平松がいう。「キャンプよりオープン戦、オープン戦より公式戦と、なんだか球がまた速くなってきたみたいです」と鵜沢が答える。「いまの江夏よりは速いだろう」というのが秋山コーチの結論だ。不安なコントロール、甘い変化球と課題はまだまだたくさん残っている。しかし、18番を手にしたことで、ひとつの望みはかなえられた。四畳半の部屋にどんと置かれたステレオも、いまは少し色あせてみえる。サイドボードの上にちょこんと乗っている一勝記念のウイニング・ボールがいまの宝物だ。「この記念のボールを二段いっぱいに並べたいですね。それなら新人王も間違いないでしょう」一段に八つはいる。すると16勝。球も速いが、いい心臓もしている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます