プロ野球 OB投手資料ブログ

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長坂衛

2016-07-24 09:15:16 | 日記
1954年

二十八年三月に僚友野村(現明治座内野手)とともに静岡市高から自ら志望して私が監督をしている明治座に飛びこんできた一年足らずでプロに引張られたのは本人にも意外だったろうし、私自身もまさかと驚かざるを得なかった。正直なところもう少し投球術を身につけてから入団させてやりたかった。明治座での一年はどう見ても無我夢中の野球生活としか思われないそこで彼の登板には特別の考慮を払ってきたわけである。しかし素質は十分持っており、特に十九歳ながら五尺八寸、十八貫と体格堂々、疲れを知らない選手である。しかも黙々と練習をつづけており、彼の将来には非常に期待をかけていた。静岡市外のみかん畑と田地を持つ比較的裕福な農家の三男坊で野球を始めたのは静岡市高に入ったときから、当時の静岡市高の校長は昭和初期の東大小宮選手で、校長自らのきついノックバットで叩かれたが、いつも静岡城内高や静岡商高に頭があがらなかった。明治座に来てからは、昨年一年間で登板十回、そのうち完投は僅かに二回である。彼が最も活躍したのは秋で、産業別対抗の二回戦(東京ガス)にスタートして六回まで1安打におさえ、秋の東京支部大会準決勝(対国鉄)では二回目の完投をし与安打二、奪三振八で5-0とシャットアウトした。登板数がまだ少ないことにもよろうが、味方が先取得点をあげてやるとラクに投球をつづけ、苦境になるとガックリして立ち直ることを知らない。フォームもまた足、腰の利用が不十分で腕にのみ頼るきらいがある。武器は重いシュートで、低目の球は自然に沈んで功を奏している。カーブはそれほど威力はないが、最近小さくなっている。これは鋭くなりつつある証拠だ。外角をつく速球もスライダーしはじめている。これらの球をうまく配合すると面白いピッチングが出来るのだが、その点もまだ不十分。バッティングはスウィングのとき左肩が極端に邪魔をしており脚力をまた足が上がらずピッチがのろい。性質はまことにおっとりとしていて身体こそ大きいが童顔、まだ乳くさいところがある。極端なハニカミヤでもある。これから先き指導いかんで右へも左へも傾くのだから、いい指導者と友達を持つことが必要だ。みっちり頭の野球も勉強しなければならないし、うんと苦しむことだ。

静岡県高校野球連盟会長 小宮一夫氏

長坂は私が静岡市立高の校長をしていたとき入ってきた生徒だが、彼の体力と肩にほれ込んで直接私がコーチした。しかし私はこれは将来の大物と見込んだので、野球、ことにピッチングの基本のみを叩き込み細かい技術は全然コーチしなかった。つまり高校では基本を身につけ、卒業してから高度の野球を学んだ方が本人のためになると思ったからである。元来が大器晩成型の選手でわずか一年のノンプロ生活ではまだまだ未完成だと思う。プロへ入ってもあせらずじっくり二軍でピッチングを学ぶべきだ。技術的にはランニングをして腰のバネをつくること、恵まれた身体をピッチングに生かすことの二つが彼への注文である。

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