1975年
連敗をストップさせようと懸命に食い下がる巨人を広島は宮本の負けじ魂で辛くも抑えることができた。「ウチのチームができたことは相手側にもやれるということ。警戒心だけは常におう盛でなければならない」と古葉監督はいつも思っている。この夜、外木場が六回までノーヒットノーランで切り抜けたというのに、ベンチの古葉監督は前夜(十三日)のことを思い出していたという。小川に、やはり六回までノーヒットノーランに抑え込まれていた広島が、七回巨人のミスをきっかけに一挙6点を奪ったことである。だから七回無死で王の2ラン、淡口の左前打が続くと迷うことなく渡辺ー宮本のリレーに入ったのだ。「力んでカーブが決まらなかった」宮本が、押し出し四球を与え1点差となったものの何とかこのピンチを切り抜けた。八回に入ると、ブルペンでは前夜7イニングを投げた池谷が投球練習を開始していた。宮本は先頭の末次に左前打を許したが、ブルペンの池谷を見て「なにくそ!」という気持ちを一層高めたという。リリーフの切り札である宮本が投げているとき、主戦投手が待ち構えているといった光景は、今シーズンかつてみられなかったことなのだ。試合後、宮本は「ぼくの気持ちとしてはそりゃねえー、何かありますよ」と、胸のあたりに手をあてて目くばせするのだった。切り札としてのプライドを強調したかったのだろう。宮本は、このピンチに前の打席にホームランした王を三振、淡口を一塁ファウルフライ、ジョンソンを投ゴロに仕とめた。決め球は三人とも鋭いカーブだった。イニングが一つ変わっただけでカーブの威力はまるで違っていたのだから不思議である。ここらあたり気の強い宮本の奮起をみることができよう。九回に入るとブルペンでは池谷のほかにもう一人、二日前完投勝ちした佐伯が加わっていた。この日は阪神が破れ、中日が引き分けた。しかし、古葉監督には、試合後も高笑いするゆとりはなかったようだ。「まだまだトップ争いは三強間で行った日からの大洋戦は怖い。なにしろ相手は打ち出すと止まらないチームだから・・・」
連敗をストップさせようと懸命に食い下がる巨人を広島は宮本の負けじ魂で辛くも抑えることができた。「ウチのチームができたことは相手側にもやれるということ。警戒心だけは常におう盛でなければならない」と古葉監督はいつも思っている。この夜、外木場が六回までノーヒットノーランで切り抜けたというのに、ベンチの古葉監督は前夜(十三日)のことを思い出していたという。小川に、やはり六回までノーヒットノーランに抑え込まれていた広島が、七回巨人のミスをきっかけに一挙6点を奪ったことである。だから七回無死で王の2ラン、淡口の左前打が続くと迷うことなく渡辺ー宮本のリレーに入ったのだ。「力んでカーブが決まらなかった」宮本が、押し出し四球を与え1点差となったものの何とかこのピンチを切り抜けた。八回に入ると、ブルペンでは前夜7イニングを投げた池谷が投球練習を開始していた。宮本は先頭の末次に左前打を許したが、ブルペンの池谷を見て「なにくそ!」という気持ちを一層高めたという。リリーフの切り札である宮本が投げているとき、主戦投手が待ち構えているといった光景は、今シーズンかつてみられなかったことなのだ。試合後、宮本は「ぼくの気持ちとしてはそりゃねえー、何かありますよ」と、胸のあたりに手をあてて目くばせするのだった。切り札としてのプライドを強調したかったのだろう。宮本は、このピンチに前の打席にホームランした王を三振、淡口を一塁ファウルフライ、ジョンソンを投ゴロに仕とめた。決め球は三人とも鋭いカーブだった。イニングが一つ変わっただけでカーブの威力はまるで違っていたのだから不思議である。ここらあたり気の強い宮本の奮起をみることができよう。九回に入るとブルペンでは池谷のほかにもう一人、二日前完投勝ちした佐伯が加わっていた。この日は阪神が破れ、中日が引き分けた。しかし、古葉監督には、試合後も高笑いするゆとりはなかったようだ。「まだまだトップ争いは三強間で行った日からの大洋戦は怖い。なにしろ相手は打ち出すと止まらないチームだから・・・」