プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

星野任

2022-01-27 14:15:36 | 日記
1959年

八雲高は大型だが、レギュラー五人が退部したので穴のあいた打撃力をとりもどそうと努めている。ドロップ、シュートをきめ球の星野、頭脳派の安藤中堅手がひかえ、バッテリーが中心打者で調子にのればおそろしいチーム。

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池上毅

2022-01-27 14:10:42 | 日記
1959年

けわしい県代表への道を、乗りきるかどうかは、やはりエース池上の右腕にかかっている。これまで大会のトップコンディションにもってゆけず、持てる力を出しきれなかったが、ことしは「調子がよい」と本人もいっている。投球は毎日二百五十球、武器とする快速球は内外角によくきまりよくきまりスライダーもまじえるようになった。ことしになって会得したものだけに、多くは投げないようだが、速球の威力をより効果的にしている。試合の中ごろに、ややダレ気味となるきらいがあるが、これを克服すれば二点以上与えることはないだろう。


伝統の高知商と池上のカーブをさからわずに打った中村の打法が買われる。

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船津享

2022-01-23 11:12:31 | 日記
1954年


鹿児島鉄道の投手で速球、カーブのコントロールがいい、打力もある。

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森忠仁

2022-01-22 10:46:27 | 日記
1981年

ドラフト外、契約金1000万。大型右腕投手として評判。3年生のときはヒジを痛め、外野手になった。投手としては重い球質でスピードもある。また打者としてのパワーもたいしたもの。阪神はまず投手として育成するが、野手転向もあり得る。

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中山孝一

2022-01-22 10:42:45 | 日記
1979年


右ヒジ故障で2シーズンつづけて一軍登板なし。それをあえてトレードで獲得したのは再生の自信があるからか。決めダマは低目をつく速球。チェンジアップも。

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山田和英

2022-01-22 10:42:45 | 日記
1981年

ドラフト4位、契約金2000万、関西6大学では、これといって目立った成績は残していないが、素質としてはよいものがある。やや線が細い感じだが、鍛えればかなりいいところまでやれそうだ。2、3年先の一軍入りは確実。


1983年

球威はあるが、コントロールがもうひとつ。マウンドの集中力を養うことが必要。度胸はあるのでマウンドであがることはない。壁を破るまでもう一歩の位置。

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石井邦彦

2022-01-22 10:40:24 | 日記
1979年


特訓に悲鳴をあげ、ベソをかいた入団当時のおもかげはもうどこにも見当たらない。ひきしまったからだがそのまま石井の意欲のあらわれだ。内角のカミソリシュートがどこまで生きるか。楽しみな2年目を迎えた。

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渡辺磨史

2022-01-22 10:37:22 | 日記
1982年

威力十分の速球、スライダー、シュートなど切れ味鋭い変化球を持ちながら、登板チャンスに恵まれなかった。プロ入り5年目の今年が勝負の年。

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藤原保行

2022-01-22 10:33:54 | 日記
1985年
早いものでプロ生活も6年目。キャンプで本格的にマスターした新球フォークボールを武器に、大暴れを狙う。昨シーズンはチーム内外の注目を集めながら腰を痛めリタイア。この無念さを白球に託すという。

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土田嘉徳

2022-01-22 10:32:07 | 日記
1984年
泉大津高からテストで入団。2年の春、対南陽工戦で1安打完封試合を演じた左の本格派。まだ、体力に不安があり、プロの体作りが1年目の目標になるが、将来性十分のルーキーだ。ソロバンは3級の腕前。


1985年


バッティングの手伝いが主という、下積みの修行に耐えて黙々と投げ続けた。「プロのユニホームを着られるだけでも幸福です」謙虚な姿勢はナインからも愛されている。

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津村潔

2022-01-22 10:28:46 | 日記
1983年

ドラフト外。「この子は必ずものになるよ」江夏がそうタイコ判を押した。テストで採用され、昨年1年間、打撃投手としてチームに同行し、来る日も来る日も投げ続けてきた。細身の体ながらバランスのとれたピッチングフォーム。コントロールも良く、リトルリーグ時代、あの荒木(早実ーヤクルト)に投げ勝った自信も胸の内にしっかりときざみつけている。もっと食べて、もっと走り込んで、たくましく育って欲しい。

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木戸美摸

2022-01-22 10:21:34 | 日記
1956年 

巨人は上位左打者を並べて打倒秋山をねらったが、勝利への道を切りひらいたのは本塁打をふくむ4安打、2打点をかせいだ公式戦登板二度目の新人木戸(加古川農高)だった。シュート、シンカー、スライダーと幾種類もの球をうまく使った木戸は無心に投げて大洋を3安打におさえて三塁を踏ませず、打っては二回投手左を抜く安打して二塁から平井を迎え入れ、さらに五回には2-0から左翼に本塁打し、その後も2安打し一躍投打の花形にのし上がった。なおこれで巨人は今シーズンはじめて首位に進出した。
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前田友行

2022-01-22 10:15:13 | 日記
1977年
なんと運のいいピッチャーだろうか。つい四日前の対土岐商戦で、3イニング(3失点)しかもたなかった前田が、「毎回、先発全員の16三振奪取」という球史に残る記録で、完封勝ち。気分屋の性格まる出しのピッチングをやってのけた。「シャットアウトは予想できんかった。ちょっと思いだせん。だから、ごっつうれしい」と、大阪弁で素直によろこんだ。一回戦とは別人のような投球内容は、昨年の秋、一塁手から転向した投手とは思えない。「初球ストライクを取ることと、先頭打者を出さないことに気をつけた。力を抜いて投げたのがよかったのかな」と、ちょっと首をかしげる前田。まだ、本当のピッチングを身につけていないようだ。しかし、捕手の鍛冶本は「どんなサインを出しても、ストライクがきた。はずせやつり球のサインを出してもストライクになるんやから、ど真ん中でも打たれる気がせんかった」と、楽しそうに話した。そういえば、右打者への内角球がスライドしたり、シュートしたり。打者にとっては的をしぼりにくい魔球となった。投手経験が浅いので腰の回転が一定しないからだ。3球三振が6個あったが、全部「はずすつもり」の投球だったと言う。酒田工の作戦は「コントロールが悪いから前半は待球戦法で、中盤から外角直球をねらわせた」(佐藤監督)が、カーブでタイミングをはずされ、内角直球にしてやられた。「コントロールが悪いと聞いていたので、ボールを打たないように心がけたが、あんなピッチャーは初めて見た」と、太田中堅手。また、四番の尾形は「インコース低めのストレートに手が出なかった。ねらっていたアウトコース高めの球は2球しかこなかった。ファウルが精一杯でした」と感心していた。酒田工打線がびっくりした前田の制球力のよさは、ノーワインドアップ投球によるものだろう。土岐商戦は、ワインドアップで投げて自滅したので、鍛冶本捕手と相談して変えたのである。「今日悪かったら、ベンチへ引っ込めるぞ」と、にらみつけた監督のハッパがきいたのか。いや、それよりも、一試合ごとに投球術に進歩を見せる前田の素質が、非凡だと見るべきだろう。

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岸佳之

2022-01-21 15:12:47 | 日記
1982年
契約金ゼロのテスト入団。小学3年から大阪:守口市の少年野球チームで硬球を握り「そのころからプロ野球選手になりたかった」父親の仕事の関係で高校は京都の無名校・石原(いさ)高校1、2年は投手、3年はセンターで四番を、京都府大会ベスト8。テストは投手として受け、伸びのあるストレートと切れのいいタテのカーブが首脳陣の目に留まり夢がかなった。

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豊原経久

2022-01-21 15:10:03 | 日記
1978年

ドラフト6位で入団。中央球界では無名だが、185㌢の長身が大きな魅力だ。「江本さんが目標」とじっくり体力作りに頑張っている。


1979年

江本に次ぐ長身投手。背の高い選手にありがちな下半身のもろさがなくなれば、面白い存在になれる投手である。ヤクルトのジャンボ鈴木のように、ほとんどのボールが変化する曲せ球の持ち主。昨年一年間で課題だった下半身もかなり強化されてきただけに、今年はファームでも登板チャンスはかなり与えられるだろう。完成すれば優勝投手になれるのではないかと、言われるほどの素質を秘めている。


1981年


100メートルダッシュで10回走った場合、1回目より10回目の方が速くなる変な選手。力をセーブし自分のペースを考えてのことだろうが、もう少しガムシャラであれ!

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