プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

ジャービス

2022-07-16 16:12:25 | 日記
1998年
公式戦初登板の中日・ジャービスの力みは回を追うごとに薄れていった。しり上がりに調子を上げ、終わってみると7回を3安打、一回の1点のみに抑え、来日初勝利を挙げた。140キロそこそこの直球がナチュラルに変化し、打ちにくい。加えてカーブ、スライダー、シュート、チェンジアップと多彩な変化球を低めにうまく制球。米大リーグ時代の96年には8勝を挙げた実績がある。

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山田清志

2022-07-16 16:09:01 | 日記
1955年


広島の先発山田の低めを突く外角カーブには威力があったが、直球がいずれも打ちごろのコースへ入ったことが悪かった。


1956年
山田は外角にドロップが気持よく決り、中日打線を4安打の散発に完封した。


1957年


広島山田投手は沈む球とシュートのコンビネーションよく阪神打線を五回まで無走者に避けたが、阪神小山も慎重な投球で六回まで毎回三振を奪った。

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青山裕治

2022-07-16 16:04:33 | 日記
1956年
試合前藤本監督から先発を申し渡された新人青山(札幌光星高)は自信がなさそうでさえない顔をしていた。それでも三回まではノー・ヒットと抑え、重心を低くして上手から投込む速球に威力をみせていた。


柴田と青山の先発は、シュートのきかない柴田よりは内角いっぱいへプレートの右はしからクロス・ファイアで投げこむ青山が荒いながらやや球威にまさっていた。しかし内角以外の球は平凡。


二回から青山の登板。左腕の青山は速い球をコントロールよくコーナーにきめ、外角に沈む球、大きく曲がるヤマなりのカーブにも威力があった。


1957年


青山は大きいドロップ、米田は速球でともに好投、中盤は投手戦となった。

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山本文男

2022-07-16 15:47:21 | 日記
1954年


広島カープでは十五日山本文男投手(16)=広島市観音中学在学中=と契約した。山本投手は投、打、走三拍子そろった超中学級の逸材といわれ、五尺九寸、十八貫、右投右打で明春卒業と同時に入団する。


1955年


公式戦初登板の山本文は外角低目にドロップを落しスタートはよかったが、六回表二つの暴投からマウンドを太田垣にゆずる羽目になり中日に屈した。


広島は七回から山本文をマウンドに送ったが内外角にカーブとシュートをよく決め、二死一、二塁からのピンチも渡辺光を三振にうち取り、八、九回も安打を許したものの要所をしめて国鉄の打気をそらしてしまった。

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田中照雄

2022-07-13 22:09:32 | 日記
1954年


近鉄田中投手の実弟、下手投でまだまだ安定した投球は望めないがコーチに野口がいるので精進如何では延びよう。


1955年
田中はかなり伸びのある速球と大きく落ちるドロップを巧みに使って好投した。


1956年


阪急はシュートを多投する田中を打てず八回の渡辺の右翼本塁打で1点還したにとどまった。


1957年


大映の田中は投球間隔を長くとり、速球、カーブ、シュートなどを一球一球ていねいにコーナーに決めた。うま味はあったがそれほど威力はなかった。


田中は外角いっぱいのスライダーで毎日打線をほんろう、つけ込むすきを与えず、九回荒川の安打による一死二塁のピンチも山内を敬遠したのち葛城、鈴木を連続三振にうちとってみごとシャット・アウトで二勝を飾った。

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榊原盛毅

2022-07-12 11:19:29 | 日記
1956年


カープで毎年オープン戦第一戦に使われるただ一人の本格派投手榊原が持前の速球にドロップを混ぜて投げたのが目立った。

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近藤禎三

2022-07-08 14:55:33 | 日記
1948年


岡崎高の近藤投手は速球とインドロを多投、大村捕手との呼吸とあってチーム全体もまとまり、県下の選抜大会で3-0で優勝している。

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清水宏員

2022-07-08 14:52:03 | 日記
1951年
投手清水(宏)はさしてスピードはないが、アウドロを武器とし、直・曲球を配合して巧みに打気をはずして行く頭脳的投手、ピンチに強く予選を通じて与えた四球三個という制球力を示している。


1954年


清水は初回一死満塁のピンチを切りぬけてからカーブを多く投げて立直り毎日の楽勝となった。


鋭いアウトドロップが持ち味の技巧派エース清水宏員…

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チャーリー・ルイス

2022-07-08 14:48:27 | 日記
1954年


ルイスは速球とドロップに威力をみせたが、制球が荒れ、評判ほどの投球は示さなかった。
ルイスが初めて投手として登場、15人の打者に57球を投じたうち2球のカーブを除き六尺余、二十四貫の巨体から真向上段の豪速球を投げ込み、四回清水にリレーするや捕手に早変わりというプロ野球史上型破りを演じた。


なんでも屋のルイスが投手として初登場、三回まで投げた。ルイスの球はスピードありシュート、カーブも良いが、常日ごろ投手をやっていない悲しさ、カウントを整えようとすると手加減のため球が甘くなる。三回に四球のあと堀井に長打を打たれた。

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宮下信明

2022-07-07 14:40:05 | 日記
1950年
宮下は器用な男、非力な調子やっぱり多難はあるだろうー云々ーといっても二年ほど前、スタンド評はこんなことさえずったという、それがどうだ、昨秋以来メキメキ頭角を現した彼は「シュートボール宮下」「巨人キラー宮下」として一躍中日のホープに成り上がったばかりかつい最近の対松竹戦では天晴れ小西監督にシャツポを脱がしたではないか。当年とって二十五歳、出身こそ早実だが実はチャキチャキの名古屋ッ子、ダンス、マージャン、映画、音楽と揃った趣味もなかなかどうして大したものだ…ところでそれはそれ、コト野球となれば彼の胸はグンと引締り謙虚な自覚とひたむきな情熱とを秘めたその右腕は容易に打者を寄せつけはしない。今年は十五勝か、いや二十勝かとまれ直情純粋と評される五尺六寸、十六貫五百の彼がお得意のシュート、カーブ、さらにはシンカーを織りまぜ宿願の打倒巨人を目指す日も近い、好漢宮下に幸あれ、頑張れ宮下。

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宮下信明

2022-07-07 12:39:05 | 日記
1951年
宮下はシュートを殆ど避けて、曲球とスライダー気味のカーブの二種をうまく使いわけて好投、宮下は後半巨人の猛反撃をうけたがバックの好守がこれを三併殺にしりぞけるなど際どい熱戦に経過した。

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田原藤太郎

2022-07-07 11:52:40 | 日記
1953年
エース田原は国鉄スワローズ田原投手の実弟で五尺七寸、十九貫の巨体から外角低目をつく速球を主体に、コントロールのよいカーブ、ナックルで打者のタイミングをはずし予選八試合をわずか四点におさえている。

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武智修

2022-07-07 11:45:37 | 日記
1950年
広島カープのエースは武智だ、内藤、中山の台頭、黒川、竹村、林(次)、石川の新鋭と数にはことかかないその投手陣でも、ウデと直球では武智の右に出るものはまずいまい、武智がエースにおさまっている広島の強さも弱みもあるようだ。武智は元来が投手でない、いわんやエースとまつられるような型の投手ではない、十八年のプロ入りだから球歴には不足はないが、もともとが内野育ちで、戦前の阪神でも戦後も金星でもショートをやっていた。去年の阪急でもいやいやながら投手をつとめさせられた。その彼が広島カープの興亡を担うエースといわれるのは明らかにカープ投手陣の弱体を物語るものだ貧弱な投手陣はそのまま広島の弱点に違いない、だがこの弱点も裏を返せば強味といえぬこともない、エースにふさわしからぬエース武智をおしたてて、しやにむにおしまくろうとする広島ナインの熱と意気、それを率いる石本監督の強気戦法ーペナントレースを戦いぬくカープの武器はまずこれである。岩本監督がいの若い選手がすくすくのびて石本式打法が広島ナインのお要素となりきるまでイバラの道を進むカーブのマウンドを守るのに武智のウデと度胸はうってつけ、小柄ながら小器用にスピードのない直球とカーブをあやつって、どんな強打者でもおめずおくせず巧に打ち気をそらすユトリをもっている心臓とプレート度胸が彼の身上。広島カープが阪神を破った二つ目の勝星も十一安打をあびながら崩れそうで崩れない武智のプレートさばきからかせぎとられたものだカープが非力であればあるほど度胸をすえてエース武智は投げぬき勝ち抜くに違いない。

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児玉利一

2022-07-07 11:32:12 | 日記
1937年
昭和十一年大分商業を経て明大へ入学した児玉はその活躍は凄まじかった、殊に本年明大が春秋連季優勝の礎石をなしたのはただ驚異の他はない。六尺になんなんとする巨体の右肩から投げおろす直球は、一見平凡に見えるが打者の目を幻惑するチェンジ・オブ・ペースの妙味が盛り込まれ、スピードの変わらぬカーヴとクロス・ファイア気味に投げ込む外角低目の直球はウイニングショットとして申し分ない威力を秘めている。

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丸山二三雄

2022-07-07 11:20:17 | 日記
1950年


左投左打、京阪商、5尺6寸、17貫
シュートボールとインドロを武器とするがコントロールに難があり昨年は余りかんばしくなかった、南海にあって東西対抗にもでたことがあり復調がまたれている

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