さよなら広告代理店

2021年02月24日 | 暮らし

しかし、私の営業成績はあれぐらいで、あとは鳴かず飛ばずだった。
いいかげん求人広告の営業がいやになった。
電話営業は釣りをしているようで、魚の引きがあるときは楽しいこともあったが、
毎日まいにち浮きが動かないと、そんなことをしている自分がアホに思えた。
社長からは毎日怒鳴られていて、生きていることがむなしくなった。
そのうち、地道に工場で作業服を着て、ものを造ってるほうがいいのではと考えた。
それから私はアポがとれたと同僚に嘘をいい、会社を出ては飯田橋と池袋の職安に行っていた。
求人広告を取る営業マンが、自分の就職先を探していたのです。
子どもが生まれるまでに、まともなかたい仕事をしたいと願った。
そしてなんとか、板橋にある時計の部品を製造する会社に就職を決めた。
広告代理店には8ヶ月勤務した。
求人広告の営業していたときは、毎日スーツを着ていた。
それ以前と以後、私はスーツとは縁のない仕事です。
何年後かに、御徒町に行ったついでにあの会社を訪ねたら、その広告代理店はなかった。
あの広告代理店は、アメ横の外れのほうの古い汚いビルの3階にあったっけ。

コメント
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