求人広告取りのその後

2021年02月23日 | 暮らし

昨日、土曜ドラマ「六畳間のピアノマン」を観て私の昔を思い出して、
私が、求人広告取りになって苦労したことを書いてしまった。
あのままでは読んだみなさんは、27歳のあの求人広告取りの男はその後どうなったんだよ?
という気持ちになるでしょう。
その後のことを書きます。

あの広告代理店には社長、部長がいて、経理の女性と営業の女性がいた。
経理の女性は社長の愛人と半年ぐらい過ぎて知った。
営業の女性は、夜スナックで働いていた。
そこに私ともう1人が入社した。
毎週日曜日の読売新聞西部本社版の全2段の企画は、社長と部長で埋めていた。
彼ら2人は、別々の広告代理店で営業をやってきて、2人で新しく会社を始めたときに、その企画を作った。
社長と部長には、長年付き合っているお客さんが何社かあった。
あの人たちがそこに電話をすると、企画の全2段はそれなりに埋まった。
私としては、それが不思議だった。
おそらくその会社の採用担当者を定期的に接待して、広告をもらっていたと思う。
私も同期に入ったKも入社して1ヶ月は、まったく広告は取れなかった。
ところがKは、2ヶ月もすると電話営業をしていて1日に1・2社にアポイントが取れて出かけるようになった。
私は、朝から仕事の終わる5時まで電話をかけどうしだった。
そのうちKは、求人広告を取ってきた。
日曜日の全2段の企画にKの取った求人広告が載るようになった。
私は、3ヶ月ほどまったく求人広告が取れなかった。
そんな私でも、企画のものではなかったが、関東統合版に載せる求人広告を取ることができた。
上野にある居酒屋の2段8分の1の求人広告だった。
新聞の記事が書いてある高さが1段でそれが2つ分、ページの横の幅を8等分にした幅の求人広告だ。
私はうれしかったし、女房もよろこんでくれた。
ところがそのあと、まったく求人広告が取れなかった。
年が明けた頃か、私の電話営業で日本で1・2の化粧品会社のアポイントが取れた。
私が社長に、「S堂のアポイントが取れたので出かけます」というと、
「おめぇはバカだな。あそこは電通が全部やってるんだよ。おめぇに求人広告くれるわけないよ」
と吐き捨てるようにいった。
私は、会社での電話営業から解放されて銀座に向かった。
7階建てのビルに入るときはさすがにビビった。
採用担当者は、脚の不自由なやさしそうな男性だった。
新年度から九州で働く美容部員を大量に集めなければならない、
そのために九州の新聞に求人広告を出すうちの企画がちょうどいい、ということだった。
それで2段8分の1の求人広告が2週続けて取れた。
そのことを会社に戻って社長に話すと、不思議な顔をしながらよろこんでくれた。
求人広告の原稿は私が書いた。
それまでおそらく1つもない縦書きの求人広告にした。
それがその会社にいたときの一番の仕事だった
                               つづく

コメント
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