「ザ・ノンフィクション」(フジテレビ)
「ボクらの丁稚物語 ~泣き虫同期 4年の記録~ 前編」(2/14 13:00~)
「ボクらの丁稚物語 ~泣き虫同期 4年の記録~ 後編」(2/21 13:00~)
>入社すれば、ケータイも恋愛も、酒もタバコも禁止。さらに男女の区別なく、
>みんな丸刈り…一流の家具職人を目指し、住み込みでの修行生活。神奈川・
>横浜市にある家具製作会社「秋山木工」は、令和となった今でも、いわゆる
>「丁稚制度」を続けている会社だ。
(番組サイトより)
私は2週にわたって前編・後編を観た。
>2017年の春。私たちは、自ら「丁稚」の世界に飛び込む4人の若者と出会った
>…彼らにはそれぞれ「ここで修行する理由」がある。
>京都大学に在学中に引きこもりになった内藤くん(23)は、自分を変えるため
>に大学を中退し、秋山木工の門を叩く。久保田くん(18)は、技と心を磨き一
>流の職人となるためにやって来た。初めて作る家具は、女手一つで自分を育て
>てくれた母親にプレゼントしたいと語る。茨城県から来た佐藤くん(17)は、
>糖尿病を抱えながら職人を目指す。加藤くん(22)は、京都で8代続く造園会社
>の後継ぎ。職人たちを率いるリーダーとなるべく、人間性を磨きにここへ来た。
(番組サイトより)
2017年に秋山木工の丁稚になったのは5人だった。
1人が半年で辞めた。その人のことはまったく説明がなかった。
入社して1年半、年下ながらリーダー格だった久保田くんも秋山木工を去って行った。
手作り家具の将来に不安を感じたのが辞めた理由だった。
2年後、取材班が彼に会うと結婚していた。
赤ちゃんがいて幸せそうだった。
奥さんは、高校の同級生で丁稚時代もつきあっていて、秋山木工を辞めてから結婚した。
彼はそのとき、手作りではない家具を作る仕事をしていた。
>残された3人は「手作りの技」の誇りをかけて、新たな挑戦を始める。若手職人
>の日本一を決める技能五輪全国大会への挑戦。ただし、23歳以下という年齢制
>限のため、出場できるのは佐藤くんだけ。持病を抱える佐藤くんが、3人の代表
>として大会に挑むのだが…
(番組サイトより)
私も高校を卒業して手工ギターを作る工房に弟子入りした。
朝の仕事始めには、必ずカンナとノミの刃を砥石で研いでいた。
私は、「世界一のギター職人になる」という夢を持って弟子入りした。
弟子入りしたその夜に、2人の兄弟子から、
「ここはダメだ。おれたちは、もうすぐここを辞める」といわれた。
27歳の兄弟子は、フラメンコギターがすごくうまかった。
その夏に、フラメンコギターを作る工房に行くといっていた。
23歳の兄弟子はクラシックからポピュラーまでギターを弾いた。
私はその夜、その工房の4階にある寮の2段ベットで、
「とんでもないところに来てしまった」と暗い気持ちになって落ち込んだ。
そんなふうにして私の職人修行は始まった。
そして3ヶ月もしないうちにそこを逃げるようにして辞めた。
ギター工房の親方が、ギターを弾けないと知って親方を尊敬できなくなった。
あそこに残って続けていたら、私はりっぱなギター職人になれたのか?
私としては、手工ギター工房を辞めたことはよかったと思っている。
そのあと転職を続けて生きてきたことは辛かったが、
女房と出会えたし、2人の息子たちを育てることができた。
そして、かわいい孫が3人もいる。
ギター工房を辞めていなければ現在の私はいない。
でも、もし尊敬できる親方で、あそこで修行を続けてギターを作っていたら、
どんな68歳の私になっていたのだろう?
あのあと残った3人は、秋山木工で8年間丁稚生活を続けられるのか?
そのあと家具を作り続ける人生を送れるのか?
できることならあのあとの、彼らの人生を取材した番組が観たいものです。