日本語の読点は、比較的どこに打つのか自由度が高いと思うけれど、英語やドイツ語は結構明確なルールがある。
『はてしない物語』をソクチくんに音読してもらっていた時、途中まで文章を読んでまた最初に戻る、ということがしばしばあった。
エンデが執筆したときにはコンマがあったけれど、ソクチくんが持っている本が出版された時期に「そのコンマはあってもなくてもどちらでもいい」とされたので、出版社が該当するコンマを取り除いたらしい。
その後、そのコンマがないと読みにくいことが分かり、今はそのコンマは必要となっている。
そのコンマは、例えば
Ich gehe, um den Baum zu giessen.
のコンマ。「私はその木に水を遣りに行く」と言う意味で、コンマの後のum~zu~が「~するために」を表している。もしこのコンマがなく
Ich gehe um den Baum...
と書かれていたら、「私はその木の周りに行く」となる。最初の例文のzu~は文末に置かれるので、コンマがないだけでなかなか区別が難しくなる。
私のイタリア人のタンデムパートナーはメールでピリオドは打つけれど、コンマはほとんど打たない。単語は全部わかるのに、文章の意味がすぐには取れないことが多い。3,4回読み直せばコンマがあるべき場所分かるので構わないけれど「読みにくい」と思う。
コンマは小さいことだけれど、とても重要なんだな、と思った。
『はてしない物語』をソクチくんに音読してもらっていた時、途中まで文章を読んでまた最初に戻る、ということがしばしばあった。
エンデが執筆したときにはコンマがあったけれど、ソクチくんが持っている本が出版された時期に「そのコンマはあってもなくてもどちらでもいい」とされたので、出版社が該当するコンマを取り除いたらしい。
その後、そのコンマがないと読みにくいことが分かり、今はそのコンマは必要となっている。
そのコンマは、例えば
Ich gehe, um den Baum zu giessen.
のコンマ。「私はその木に水を遣りに行く」と言う意味で、コンマの後のum~zu~が「~するために」を表している。もしこのコンマがなく
Ich gehe um den Baum...
と書かれていたら、「私はその木の周りに行く」となる。最初の例文のzu~は文末に置かれるので、コンマがないだけでなかなか区別が難しくなる。
私のイタリア人のタンデムパートナーはメールでピリオドは打つけれど、コンマはほとんど打たない。単語は全部わかるのに、文章の意味がすぐには取れないことが多い。3,4回読み直せばコンマがあるべき場所分かるので構わないけれど「読みにくい」と思う。
コンマは小さいことだけれど、とても重要なんだな、と思った。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます