フラッシュバックなんて聞くと悪い事の記憶みたいに思うけど
全然そんなんじゃないからね♪(* ̄ー ̄)b
私が小学校3~4年の頃(もう60年近く前やん!(/▼▼)/げっ)
その頃はやっとテレビが普及し始めていたけれど
放送は決まった時間帯にしかなくて映画が娯楽の王様でした
その頃は神戸に住んでいて市電に乗って「水道筋」という
大きな商店街の中にある映画館に土曜日の夜ともなると
ほぼ毎週母親と二人で通っていました
その頃の母のマイブームはミシンでの裁縫でした
何を縫っていたかというと私達姉妹の服~♪
何しろ既製品がまだ珍しい時代やったから
気の利いた物なんかデパートでも売ってなくてね
自分で縫うのが当たり前の時代やったし 日本も戦後のごたごたが
一応治まった頃の時代で主婦の洋裁が流行っていたんでしょう
母も私と同じでのめりこんだら とことんやる人だったし(*・艸・)プププ
4畳半と6畳と2畳の4軒長屋で形ばかりのトイレに続く廊下が
そのミシンの置き場所で朝私が目を覚ますのはミシンの音
夜寝る頃の子守歌もミシンの音でした
ミシンの前の狭い棚にラジオが置いてあって
ラジオドラマやらラジオ歌謡やら散々憶えました
それが今の「うたごえの会」に役立ってるし(^ー^* )フフ♪
\(・_\)ソノハナシハ (/_・)/コツチニオイトイテ
ところで映画館ゆうたら今はポップコーンがつきもんやけど
その頃には当然そんなしゃれた物が存在してるわけもなく
おかきとか酢昆布とか まあジュースもあったけど・・・
でも私の母親は私同様おケチでねえσ(^-^;)アセ
一切飲食なし!(乂>ω
おかげで私は今でも映画に行っても何も食べないです
あ ジムの前の映画館やから飴ちゃん程度は持ってるけど~♪
んで なんで毎週のように夜に映画館に行ってたかというと
父親が夜遅くしか帰ってこなかったから-_★)キラーン
母親にしたらそりゃ退屈な夜の時間だったんでしょうね^^;
昭和30年代の日本は父親の年代が戦後の何もない所から
必死で今の日本を作り上げてた訳!d( ̄ ・ ̄)
土曜日だって会社は休みとちゃうかったんよー^^;
それに今みたいに祝日も少なかったしねえ^^;
ウィークデーに父と顔を合わせた記憶が殆どなかったかなあ
私が知っている父親は日曜になると布団にくるまっている姿と
夕方にラジオの野球中継を聞きながらハイボールをちびちびと
飲んでいる姿やったですよ(´-`).。oO(ゥ~ン…)
\(・_\)ソノハナシハ (/_・)/コツチニオイトイテ
その頃はちゃんばら映画が流行っていて(白黒やったんよ)
私は大川橋蔵の若侍が好きでねえ(ョ´w`*)ポ
思い出したらその映画館はトイレの(というか便所の)
臭いがほのかに漂っていたような^^;
定連であろう同じ年齢位の男の子たちが
ちゃんばらのフリを覚えようと腰にカタナを差して
後ろの方で主役と同じように立ち回りをしていましたww
映画の帰りにはその近所にある貸し本屋に寄って
前の月の少女漫画雑誌を5円で買ってもらって(リボンとかね)
それで手塚治虫の「リボンの騎士」とか読んでいたわけ~♪
その後商店街のはずれの屋台のお寿司屋さんで
たこの握りを食べて帰ったものです
私はその当時好き嫌いがひどくて生魚が食べられなくて
いつもたこだけでした(ノ_〃)ゞ
今頃屋台のすし屋なんて滅多にお目にかかれないけれど
昭和30年代の景気復興期には多かったんじゃないかと思いますな
なぜこんな事を急に思い出したのかわからないけど・・・
とにかくあの頃の日本は静かだったよなあ |ョ-ω-)。oO()
全然そんなんじゃないからね♪(* ̄ー ̄)b
私が小学校3~4年の頃(もう60年近く前やん!(/▼▼)/げっ)
その頃はやっとテレビが普及し始めていたけれど
放送は決まった時間帯にしかなくて映画が娯楽の王様でした
その頃は神戸に住んでいて市電に乗って「水道筋」という
大きな商店街の中にある映画館に土曜日の夜ともなると
ほぼ毎週母親と二人で通っていました
その頃の母のマイブームはミシンでの裁縫でした
何を縫っていたかというと私達姉妹の服~♪
何しろ既製品がまだ珍しい時代やったから
気の利いた物なんかデパートでも売ってなくてね
自分で縫うのが当たり前の時代やったし 日本も戦後のごたごたが
一応治まった頃の時代で主婦の洋裁が流行っていたんでしょう
母も私と同じでのめりこんだら とことんやる人だったし(*・艸・)プププ
4畳半と6畳と2畳の4軒長屋で形ばかりのトイレに続く廊下が
そのミシンの置き場所で朝私が目を覚ますのはミシンの音
夜寝る頃の子守歌もミシンの音でした
ミシンの前の狭い棚にラジオが置いてあって
ラジオドラマやらラジオ歌謡やら散々憶えました
それが今の「うたごえの会」に役立ってるし(^ー^* )フフ♪
\(・_\)ソノハナシハ (/_・)/コツチニオイトイテ
ところで映画館ゆうたら今はポップコーンがつきもんやけど
その頃には当然そんなしゃれた物が存在してるわけもなく
おかきとか酢昆布とか まあジュースもあったけど・・・
でも私の母親は私同様おケチでねえσ(^-^;)アセ
一切飲食なし!(乂>ω
おかげで私は今でも映画に行っても何も食べないです
あ ジムの前の映画館やから飴ちゃん程度は持ってるけど~♪
んで なんで毎週のように夜に映画館に行ってたかというと
父親が夜遅くしか帰ってこなかったから-_★)キラーン
母親にしたらそりゃ退屈な夜の時間だったんでしょうね^^;
昭和30年代の日本は父親の年代が戦後の何もない所から
必死で今の日本を作り上げてた訳!d( ̄ ・ ̄)
土曜日だって会社は休みとちゃうかったんよー^^;
それに今みたいに祝日も少なかったしねえ^^;
ウィークデーに父と顔を合わせた記憶が殆どなかったかなあ
私が知っている父親は日曜になると布団にくるまっている姿と
夕方にラジオの野球中継を聞きながらハイボールをちびちびと
飲んでいる姿やったですよ(´-`).。oO(ゥ~ン…)
\(・_\)ソノハナシハ (/_・)/コツチニオイトイテ
その頃はちゃんばら映画が流行っていて(白黒やったんよ)
私は大川橋蔵の若侍が好きでねえ(ョ´w`*)ポ
思い出したらその映画館はトイレの(というか便所の)
臭いがほのかに漂っていたような^^;
定連であろう同じ年齢位の男の子たちが
ちゃんばらのフリを覚えようと腰にカタナを差して
後ろの方で主役と同じように立ち回りをしていましたww
映画の帰りにはその近所にある貸し本屋に寄って
前の月の少女漫画雑誌を5円で買ってもらって(リボンとかね)
それで手塚治虫の「リボンの騎士」とか読んでいたわけ~♪
その後商店街のはずれの屋台のお寿司屋さんで
たこの握りを食べて帰ったものです
私はその当時好き嫌いがひどくて生魚が食べられなくて
いつもたこだけでした(ノ_〃)ゞ
今頃屋台のすし屋なんて滅多にお目にかかれないけれど
昭和30年代の景気復興期には多かったんじゃないかと思いますな
なぜこんな事を急に思い出したのかわからないけど・・・
とにかくあの頃の日本は静かだったよなあ |ョ-ω-)。oO()
あなたは私より少しお若いけれど ほぼ同じ時代を生きて
来たわけで 昭和30年代はこうだったよなぁ と懐かしく
読ませてもらいましたよ。そしてあなたがご両親の愛に
包まれて育ったこともよく分かりました。
あの時代は日本中がまだ貧しくて 今の子どものように
なんでも手に入ることはなかったけれど家族が仲よく
親と子の絆も もっと強かった気がします。
キミコさん すてきなお話をありがとう
フラッシュバックを2度も読んで頂けましたか~♪
過ぎた日は懐かしいですものね
どうも人間って少し貧しい位の方が幸せじゃないかと思うのですよ
恵まれすぎて無感動な若い人を見ていると
なんと豊かな時代だったなあって^^
娘がこんな話を聞くとうらやましいなあって言います^^
くりまんじゅうさんもよかったらこんな時代のお話を
是非聴かせてください オネガ━━(◆´∀`人´∀`■)━━ィ!!
キミ子さん あれ!いつもと違うじゃん!!
と、思いながら、吸い込まれていきました。
うんうん。。
早くからコメントありがとうさんです^^
食べ物つながりと思って書いたけれど
書いている内にどんどん話が膨らみました^^;
昔話するようなお年頃になったなあクス(・m・*)クス
中学生の頃かしら、、泊りがけで遊びに来てた親戚のおばさんが、逗留中にワンピースを縫ってくれて、
すごく嬉しかった。
近所の本屋さんで、貸本があってね。単行本の漫画とか、借りて読んでました。幾らだったのかしら?
キミコさんは、今は何でも食べられるの?すばらしい!!
私は未だに偏食が直らず、、--;
。*。・(从・ω・)(・ω・从)ネーやっぱり( ̄∧ ̄)(_ _)フムフムでしょ?
私たちの年代ならあるあるネタですもん( v ̄▽ ̄)イエーイ
ワンピース縫ってくれはったんですか!おおぉぉお!!("▽"*)
うらやましい事!!
どこに行っても気に入った物のなかった時代だったから
最高のプレゼントでしたね^^
貸本屋さん よく利用しましたよ
マンガなら1冊5円でしたよ^^ 叔母さんちに泊りに行って
毎日借りて読んでました^^
お寿司ならまず全部食べられるけど嫌いな物ありますよ^^;
ネギ類 牡蠣 腔腸動物 肝 あきませんねん( ▲lll)
30年代中期、わたしはもう勤めていましたが、ミシンは買うことはできずに、母の従妹の家にいって、ミシンを借り夜間洋裁学校での宿題をしていまた。
弟妹が多かったので、妹3人の洋服はみんな私が縫っていたものです。
貸本屋さんもよく利用していました。
読書が好きになったのも、わずかなお小使いで借りた本を読むことが楽しみだったからかもしれません。
小学生のころ、裕福な家庭の友から月遅れの少女雑誌をゆずりうけるのを、ひたすら待っていたものです。
あのころは、何事にも辛抱できる時代だったのですよね。
今は、しあわせだなぁと、感謝の気持ちが溢れてきました。
ありがとう。
杏子さんもやはりそんな風な暮らしでしたか^^
妹さん達の服を作るために洋裁学校にまで通ってはったんですねえ
あの頃洋裁学校に行くのは女のたしなみでしたもんね
私は行かなかったけれど友人たちも卒業して通った人が多かったですよ
本は私は今でこそ図書館で出来るだけ借りていますが
中学生の頃は本の虫でお小遣いを貯めては文庫本を買っていました
次に何を買うかと考えるのが楽しみで~♪
本屋さんも減りましたよね 淋しい事です(イωト)シュン
杏子さんも昔話の更新してくださいね。*。・(从・ω・)(・ω・从)ネー
たこさんしか食べれなかった。。って笑っちゃった。
そうなんだぁ。
実は私もお刺身とか高校生まであんまり得意じゃなかったんだよ。
色々美味しさを知っていくんだね。
キミコさんの昔話もとってもいいです。
また聞かせてね。
ハナシハコッチニオイトイテ。。って面白かったけど(笑)
これからも時々我が家の食卓に登場しそうです。
今回の昔話…楽しい~
お話し上手ですね。