子供の時は三日坊主で続かなかった日記
娘がお産で帰ってきたときにはじめて、もう8年くらいは続いていたはずなのに
今年の夏に断念してしまいました
夏頃は、定年を前にして、心がかなり動揺して、今の自分に向き合えなくて、どこか逃げていたから
そういう気持ちが、日記という自分と向き合うところから遠ざけたのだと思います
時々、まとめて書いたりしていたけど、それすらできなかったから、たぶん無意識に逃げていたんでしょうね
そして、華甲を祝う会をしていただき、定年後もそれほど大きな環境の変化がないことが少しずつ知らされて、気持ちがなんとなく落ち着いてきたのかな・・・
そうしたら、日記を8月から書いていないし、いまさらかけないなーって
書けるところから戻って書いてもいいものなんでしょうかね
人生の大きな節目で、これからはどう生きようか、社会の第一線から、少しずつ後方支援になっていくことに対して
自分の気持ちをどう持っていったらいいのか、今まで通りではウザがられるし、急に静かにもできないし
でも昔、県立病院にて、病棟の問題に対して、その当時の主任さんに心配だから、こうした方がいいとか、このままではいけないと思うと進言したら
それは、あなたに心配してもらうことではないからと言われ、その後も気になることを言うと同じことを言われて、
臨時職員というだけど、正当なことを言ってもダメなんだなって
だから今の病院に来て、少し役職をもらって自分の意見を進言すると、たいがい通るし、みんな聞く耳を持ってくれて、すごく嬉しかったけど
また、役職が解かれ、定年過ぎに嘱託職員になたら、同じことを言っても、あなたに言われたくないとか言われちゃうのかなって
そうしたら、ここにいないで、別なところに行けばいいんでしょうかね・・・
自分はそんなに簡単変えられないし、昔も今も、考えていることは同じで、いつも、患者さんや家族の立場になって考えて意見を言うから
自分の身を守りたい職員にすると、ちょっとイライラするのかもしれませんね
聖人君子なんて、理想ばかり言っても現実にはそんなに簡単じゃないってね
でも、看護は理想を忘れては絶対ダメなんだと思っています
常に、理想をかかげて、それに向かって突き進んでいく
それが看護理念だったり、看護目標だったりするわけでしょ
人間だから、楽はしたいんですよ
自分が一番かわいいから、同じお金もらうなら、楽がいいし、ストレスない方がいいし
でも、そんなことばかり言っていたら、だれが、つらい気持ちでいる患者さんや家族の味方になるんですかって思います
それだけ、崇高な職業だということを、みんな誇りに持ってほしいな~
と、ついむきになってしまいました
また、気が向いたら、日記始めます
やっぱり、去年の自分と時々向き合うのもいいと思うし・・・