イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

189オク

2007-03-19 17:41:49 | テレビ番組

万俵大介の、三雲頭取(正確にはあの時点では元頭取ですね)への言葉「一度歩き出した道は、もう突き進むしかないのです」ではないけれど、連続ドラマ、一度期待して視聴始めると、回を重ねるにつれ期待が失せても、なんだかんだで最終回までは見届けないわけには行かない義理ができてしまうもんです。『華麗なる一族』最終章・後編(18日21:00~)。

前週の銭高証言で阪神銀行の不正経理指示が明るみに出て一転鉄平有利かと思いきや、管財人に帝国製鉄和島所長登場で再び事態は暗転。和島役・矢島健一さんが最高でしたね。銀ブチ眼鏡で常にチェシャ猫みたいなニヤニヤ笑いがいやがうえにも不気味で嫌味に見えるのは、第1話で“MIT仕込みの万俵鉄平が作った鋼材の優秀さに内心脱帽し、競争したら太刀打ちできないと恐れている”という伏線があったればこそです。あの表情は、勝者の“してやったり、得意満面”ではなく、物を作る者が自分より能力の秀でた者に抱く劣等感、そこにゲタの足載っけて背伸びした尊大さを微量含んでいるから、なお一層イヤらしく、狡猾に見えるのです。

矢島さんと言えば月河は先般『ハゲタカ』第3話での、銀行ファンド代表として入札合戦を演じた矢島さんに釘付けになっていたので、「提訴取下げ書です」とデスクに置いた紙に“189オク”とか書いてあるんじゃないかと乗り出して見てしまいましたが。

大介に手切れ金を渡された相子(鈴木京香さん)と正妻・寧子(原田美枝子さん)の最後の別れも、原作とはだいぶ違うようですが静かな迫力がありました。屈辱と喪失感の涙からやっと自尊心を取り戻し、いつもに増して傲然と立ち去らんとする相子に「長い間ありがとうございました」と自分から礼を言う寧子には、もうそれまでの情けなさとか歯がゆさはなく、運命の子・鉄平亡きあと静かに没落に向かう一族と運命を共にする者の誇り感じられました。だからこそ相子も「わたくしもやっと解放されるわ」と最後の意地を張ることができた。

背後から呼び止められて、積年の呪詛や悪態を予期して目いっぱいのガン飛ばしモードで振り向いた相子に、積もる思いを呑みこんで「…お元気で」と寧子。たちまち相子の眼から殺気は消え、抑えていた悲しみがゆっくりと滲んで行きます。自分のプライドや上昇志向を男に投影させてのめり込む、相子は相子なりの、これしかできないという愛し方で大介に尽くしてきたのでしょう。人生に勝ちも負けもない。この時点で昭和44年。女性の能力発揮の場が少ない時代はまだしばらく続きますが、次なる目標を見つけるまでの間だけでも、相子に心安らかな日々のあらんことを。

地味かつ非常に短い場面でしたが、雨の中一族が製鉄所操業再開の煙を鉄平の位牌遺影とともに見守るシーン、実家に帰っていた万樹子(山田優さん)が銀平(山本耕史さん)の脇に寄り添う姿もちょっとしんみりしました。何不自由なく育ち、婚約前に妊娠中絶も経験した発展家のお嬢さまですが、彼女なりに、名家に嫁ぐことで人生リセットのつもりで夢と期待に胸膨らませていたはずです。何ひとついいことがなかった万俵家には憎しみしかなくても、人と人との情のようなものは少しは残ったのかな、と想像したくなる銀平との一瞬の視線の通い合い。どちらも何とも微妙な表情だったのが、妙にペーソスがあって良かったと思います。

振り返れば、初夜の山田さんの平手打ち一発も良かったなぁ。子供の問題でこじれさえしなければ、長身美脚の山田さんに色白で中性的な山本さん、容姿的にもキャラ的にも絵になるSとMでナイスカップルだったと思うんですけどね。これは脱線。

そして何と言ってもラストシーンの美馬(仲村トオルさん)。この世をば我が世とぞ思うかの大介に手招きされて、眉間に縦ジワ寄せたままのあの酷薄な微笑。「何も知らねぇでアホだなこのジジイ」という侮蔑とも、「こんなヤツ転がして局長になれるってオレ、喜んでんの?小っちぇーなオレ」という自嘲ともとれる。大介が呼ぶ方向には視線を向けず歩いて行く先に見えるのは政界進出か?それまでカネづるとして落日の万俵家からも吸えるだけ吸い取っとかないとね。この人のこの先の世渡りぶりも外伝的にドラマ化してもらいたい。一子との夫婦仲は冷え切ってるし、相子に興味ありありだったし、出世しくじるとしたら女性問題かな。

一方、スタッフ・キャストがいちばん力を入れ、全編中の白眉にしたかったのであろう池畔での大介と鉄平との対峙、鉄平が引き金を引くまでの感情と表情の移ろい、血液型の秘密を知り鉄平の遺書を読んだ大介の慟哭などのいかにもなシーン群は、叙述の音量上げてるわりにさっぱり心に響いてきませんでした。

借金苦、生活苦や失恋、失職などいろんな理由で人間は自殺しますが、このドラマの鉄平のように「自分は生まれて来るべきではなかった」なんていう自殺動機はいちばん愚かだと思います。どんな名家の、複雑な出生だろうが、才能があろうがなかろうが、そもそも人ひとり、この世に生まれてくることが善なのか、意味があるのかなんて問い出したら答えなんかありません。あるのはいま現にここに生きている自分と、現に自分を愛し親しんでくれる妻子、友人たちのみです。彼らが自分に寄せてくれる愛慕の中に、「この人の生に意味はあるだろうか」なんて疑念はないはず。それをさしおいて、「生まれてきたのが間違いだった」なんていう閑人の妄念に殉じるなら、出生をめぐる誤解に基づく葛藤の分情状酌量するとしても、もう「ご自由に」としか言えません。自分が生まれてこの世にあるということに対する肯定や意味づけが得られなければ生きていけないとは、何と燃費の悪い人生かと思います。

こんな小心で内向的な思考の男を、終始「専務」「専務」と敬愛していた従業員たちこそ気の毒の一語。

会社経営者として、理想を深追いして大局を見誤り、慕ってくれる従業員たちの希望をくじいて盟友・三雲を失脚させた非を詫びる意味の自殺であればまだしも説得力があったかもしれませんが、鉄平の苦悩を、徹頭徹尾テメエの出自への疑念と恨み、父への鬱屈した愛憎にのみ絞って描いたことで、なんだかえらくスケールの小さい、私小説レベルの話になってしまった。誰かこの原作、もう一度企画からやり直して映像化してくれないものでしょうか。

コメント
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