イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

どんな花より

2009-01-01 18:33:38 | 世相

2008年もあっという間に通り過ぎ、北京オリンピックや、ノーベル賞4人まとめて日本人受賞などのテンション↑↑↑なイベントもありはしたものの、結局は東証大納会の30日、大引け終値前年比-421%が示す通りの年で終わってしまったように思います。

リーマンブラザース破綻の直接影響がどうこう、麻生政権の経済政策がどうこうと言う、具体的枝葉的なことより、もっと根幹的な行き詰まりだと思う。市場に物はあふれている。環境は汚染されている。人口は減り、体力も気力も財力も細った老人ばかりになって行く。どんどんモノを作って、もっともっと良いモノをたくさん作って、どんどん売ってどんどん買って、売るほうも買うほうも、足並み揃えて豊かになって行く、という図式は、もうあきらめたほうがいい。二度と回復しないでしょう。

今日より明日が、今年より来年が、自分の時代より息子・娘の時代が、より豊かで裕福にはならないとほぼ見通しが立ってしまっても、なお心だけは豊かに、親しい人にも親しくない人にも思いやりと寛容の心を持って、家族のため社会のために倦まずたゆまず、青少年期には勉学に励み、成人してから老年になるまでは勤労に打ち込み、一生、愛と秩序に満ちた生活を日々送っていくことが、日本人にこの先できるのでしょうか。

もう、何党か知らないけど政府の政策や経済情勢の回復に期待することはできないと思う。ここは“宗教”の出番しかないのではないかと月河は思うのです。

宗教と言うと日本ではとかく“集金組織”か、さもなきゃ“カルト”しか連想させませんから、“信仰”と言い換えてもいい。

モノとカネに右肩上がりの展望が消え、先細りしか見えなくても、努力の対価としていま以上の金銭物質の恩恵が何ひとつ見込めなくても、なおかつ人が心豊かに、心優しく、勤勉にある方法は、信仰以外に存在しません。

神様や仏様でなくてもいい。お天道様でもお地蔵様でもいいし、それこそヨン様、○○王子のたぐいでもいい。形があっても、無くてもいい。モノカネに頼らずに心を支える力になり得る存在ならば何でもいい。

喩えとしてあまり古いので足かけ2日躊躇したのですが、ボロは着てても来年再来年にはまともな服を、10年後にはブランド品を着られる見通しがあったから、昭和の日本は「心の錦」でいることができた。今年ボロを着ていれば来年再来年はボロボロを着る可能性のほうが高い2009年現在、「それでも心の錦」でいさせる原動力になるものは、錦もボロも超越して、心オンリーに働きかけ梃入れさせる何モノかであって、それは信仰以外の何ものでもあり得ないと思う。

「厄介なことに」と言うか、「ありがたいことに」と言うか、日本では憲法で“信教の自由”が保障されています。誰が何をどう信仰しようが、手前勝手の自己責任、“私事(わたくしごと)”であって、政策や法制で「日本人ならばこれを信じなさい、これこれこんな信仰をしなさい」「しなけりゃこういうペナルティを科すよ」と強いてはならないことになっている。

経済も外交も、教育や治安、福祉など生活行政も、さっぱり上向かず、“ろくな話が出てこない”のは、ひとり麻生さんの失政、力量不足ではない。問題は日本人ひとりひとりの心の中、国家も政策も侵すべからざるところにあるのですから。

何をどう信じ、それに基づいてどう日々行動すれば、モノの豊かさ貧しさに左右されずに生きられるのか。“お上から”が(ありがたいことに)ご法度となっているこの国で、それを忌憚なく、何ものにも抵触せず、下心も打算もなく教え伝えることができる最強の戦力、それが“家族”です。

 親から子へ。祖父母から孫へ。兄姉から弟妹へ。かつて日本の家族は、政治にも権力にも縛られずに“心”の伝統を次世代に伝える唯一無二の学校でした。

 敗戦後、政治や時局に対してあまりに無策無力に、学徒出陣や小国民の悲劇を生んだ反省が自虐に転じ、“家族”の教育力、伝統伝承力は一気に卑屈になり、矮小になり、ついには力であることをやめてしまいました。

政府の無能は、残念ながらいまここ数年で急に始まったことではありません。いつの時代も民主主義政府は、民意に対して不誠意で無神経で侮蔑的です。民主主義とは、民の一票によって選ばれた人を、選ばれたことによって「自分はもう、いち名もなき“民”ではない」と錯覚させ、つけ上がらせ、民意を踏み躙らせるシステムでもあるから。

日本と日本人の苦境は、モノ無きカネ無き“心”を支える術=信仰と、その術を伝承するソフトとを同時に失ってしまったことにあるのです。

株価よりも雇用よりも大切な“信仰”の再発見。決して捏造でも偽装でも洗脳でもない、純粋に自発的な、自律反発な再発見、2009年の日本には可能でしょうか。

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……………年末年始のTVの不毛に対抗すべく、DVDレンタルに特命派遣した非高齢家族に『轟轟戦隊ボウケンジャー』の、放送時録画できなかったTask1929までの巻を頼んだところ、「1年後の『獣拳戦隊ゲキレンジャー』からしか、店に置いてなかった」との報告を聞き、当地でも予想を超えるペースで進む市場の少子化に思いを致すところから、月河の09年はスタートしています。

コメント
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