新型コロナ渦・・じゃなくて禍の混乱で、マスクや消毒用アルコールだけでなく、いろんなモノが一時期品薄になるという不可解な現象が起きました。
トイレットペーパーは例の「マスクと原材料がかぶるから」というまことしやかなデマが補論して拍車をかけたし、小麦粉やホットケーキミックスは、大人も子供も“家で作って食べる”を一週間二週間続けると、みんなほどなく粉モンに逃げる、という現象の証明でした。
主食としてはお米=白いご飯が、腹持ち的にも栄養バランス的にも、保存性の面でもいちばん優秀なんだけど、“おかずがないと食べられない”という致命的?な弱みがある。おかずがねー。ネタ切れになるんですよねー。一週目はなんとかなっても、二週目以降がきつい。
お子さんにもゲームの手をちょっとおいてもらって、キッチンに出動させて、パンケーキとかお好み焼きでも、皆でわちゃわちゃ焼かないと間が持てないし気分も変わらないという気持ちはわかります。ネコもシャクシもステイホーム生活の中、そういう気持ちになるタイミングが、皆さんあっちでもこっちでも一致しちゃった。
ちなみにヨーロッパで真っ先に医療崩壊が伝えられたイタリアでは、ロックダウン前の早い段階で店の棚からパスタが消えたそうです。まぁ、生(き)のまんまの小麦粉で買いだめしとくよりも、パスタは乾物だからフードロスにはならないか。
驚いたのは、一か月ほど前ですけど、「体温計が品薄」という話。なんでも、“出勤前に検温を義務付ける会社・職場が増えた”のが原因らしい。
お子さんや病人がいなくても、普通の家庭なら体温計の一本や二本、常備薬の引き出しの片隅にでもおいてあるんじゃないかと思ったんですが、言われてみれば急に家族の誰かが熱を出しでもしない限り、そう頻繁には使わないものだし、共働きのお父さんもお母さんも必要、この緊急事態下で休校中の子や、預け先どうしようという就学前の子にはもっと必要、使いまわすたびに消毒するアルコールも品切れとなると、もうお手上げ状態で、しかも最近の体温計はみんなデジタルですから、久しぶりに使おうと思ったら電池切れになっていて、替えの電池買いに行ったらそれも品薄、なんて泣きも笑いもできない状況に、一時は本当に陥っていました。
マスクからトイレットペーパーの騒ぎの頃にも思っていたんですが、何かしらのイベントやアクシデントが世の中に起きて、「多くの人がコレを必要とするはず、欲しがるはず」と皆考えるアイテムが、ピンポイントで狙ったように市場から消える、棚がカラになるという、この現象ホントにどうにかならないんでしょうか。
“転売(テンバイ)ヤー”という揶揄ったネーミングを知ったのは『TVタックル』か何かの番組だったと思いますが、たとえば滅多にナマ歌を拝めないアーティストのコンサートチケットとか、数量限定期間限定のフィギュアや模型とか、欲しがる人はそれこそ高体温だけど人数が必ずしも多くないし、販売の日時にどうしても買いに行けないこともある、マニア性の高い商品の場合は「その日時に(自分の代わりに)並んで入手してくれた」ということを“安からぬプレミア上乗せされてもしょうがない、許せる”サービスと取り、所謂転売ヤーを利用して(第三者からは)法外な価格で又買いするという取引も、ギリギリ、合理的売買として成立すると思うんです。
しかし“新型感染症蔓延中で、世の中みんな自宅にロックダウン中のトイレットペーパー”とか“、同じく消毒用アルコールやウェットティッシュ、手洗いソープや食用小麦粉、ロックダウンが解除されて出勤が始まったら今度は体温計、次いで交換用電池・・など、“この状況下なら老いも若きも、富めるも貧しきも全員必要”なモノが、選んで狙って消しゴムかけたように店頭から姿を消す。マスクはともかく、どれもこれも、国内でじゅうぶん過ぎるくらい生産が間に合っている製品、商品のはずなのにです。
大袈裟じゃなく、コレ自由主義経済体制の敗北じゃないか。旧ソ連時代の共産主義国で、計画経済の下、消費財が発売されたら寒空の下、民衆が皆行列順番待ち、計画個数売り切れたら棚は元通りカラっぽ・・という、USA中心の西側圏では嘲笑気味に報道されていた風景と、ぱっと見、いくらも差異がありません。
自由過ぎてこうなった。情報があり過ぎて、偏り過ぎて、聞く耳が育たな過ぎてこうなっちゃった。
新型ウイルスが炙り出した世の中の歪みひずみの中でも、これは本当に皮肉なものです。
ちなみに、月河家は体温計に関しても、マスク同様今般は慌てて薬局やドラストに駆け込まずに済みました。昭和の時代の、ガラスに水銀と目盛りのアナログ体温計が二本、まだ現役。モノもちのいいにもほどがあるなぁ。
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